今年も年の瀬になりました。デパートや商店街で門松や松飾りが見られるようになると、新年が近づきつつあることを感じるでしょう。
お正月飾りには、それぞれに意味や役割があります。門松や松飾りは、年神様を家にお招きするための目印である、とされています。
しめ飾りやしめ縄は、穢れや厄を家に入れないようにするためであり、鏡餅は年神様が宿る依り代になるという意味があります。
こうした飾りについて役割を知った上で扱うか、そうでないかで、年始の過ごし方にも、少なからず違いが生じてくるのではないでしょうか。一段と清々しい気持ちで新年を迎えられることにもつながっていきます。
では、普段、家庭や職場で使う道具についてはどうでしょうか。物は扱い方やそれを使う人の気持ちによって、性能や使用できる期間が変わってくるものです。
新年の準備と併せて、この一年使ってきた物や道具にも感謝を込めて手入れをしたいものです。
今日の心がけ◆物や道具に感謝しましよう
一昨日といい今日といいずいぶんと「物に感謝」が続いていますが、バカなのでしょうか。
チェックする人はいないりでしょうか。
一昨日も書きましたか、倫理法人会は本当に「物に感謝しろ」と思っている可能性が高まりました。物を大事にする事で経費を削減して利益を最大化するという最初の目的を忘れて手段が目的になってますよ。
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職場の教養では、物(道具)に感謝しろ、大切に扱えと幾度となく指示しています。
逆に言うと、先輩、上司、同僚、友人の行動から何かを学ぶのは良いけれど、考え方から何かの影響を受けてもらうのは都合が悪いのでしょう。
倫理法人会は我々に賢さを求めておらず、頭が弱い信者として洗脳したいのだと、今日の文章にも滲み出ています。
1月の職場の教養を読みましたが、その傾向は相変わらずでした。
どの職種でも共通するネタなんじゃないですかね 笑
地域差は知りませんが、門松や松飾りは使い捨てですよね?
どうせなら使い回しを推奨して 笑
ただのバカと言えばバカですが、法人会繋がりからの仕事ってのも結構あって中小の経営者はある意味ビジネスチャンスを求めてって人も多いです。 政治家も居ますしね。
職場の教養の内容なんてどうでも良いんだと思います。
確かに職場の教養の内容なんてどうでも良いんだと思います。
我の事務所も感想を求められないので、誰も何も気にしていません。
しかし、感想を求められている事務所では、きっと苦痛なんだとは予想できます。
職場の教養ではいろいろな言葉を使って、これでもかと精神、心の中に入り込もうとしています。
例えば今回で言うと、「物は扱い方やそれを使う人の気持ちによって、性能や使用できる期間が変わってくるものです。」と書かれていますが、この「それを使う人の気持ち」ではなく本来なら「使い方」「技術」で良いはずです。
今までで言うと、物を作った人の想いや技術力ではなく、神が宿ったことにして「物」自体に感謝しろと、作り手は無視されます。
月初めには「感謝を込めて後始末」と言っていたのに、年の瀬には「感謝を込めて手入れをしたい」と言い出す。
毎日、我々の心の中に入り込んで来る(日によって形を変えてしまう)癌細胞に対しては、来年も引き続き目を光らせていかなければと思っています。
ご指摘の通り、この本は、宗教にしては一本も筋が通ていない作りこみの甘さがあります。
それが、新興宗教になりきれない詐欺臭さを醸し出しているのだと思います。