Bさんが研修旅行のスタッフとして、集合場所の駅前広場で、参加者の出欠確認をしていた時のことです。
先輩に呼ばれて行ってみると、「緊張しているのはわかるけれど、もっと笑顔を心がけてみて」と言われたのです。
Bさんは、自分の顔の表情など、まったく気にしたことがありませんでした。先輩のひと言に、《確かに、初めて研修旅行に参加する際に、スタッフが緊張した面持ちでいては、あまりよい気はしないだろうな〉と考えさせられたのです。
それ以来、人前に出る際には口角を上げ、笑顔を心がけるようにしました。すると相手も笑顔になり、自分の気持ちもより明るくなることを感じました。
その後、別の研修旅行のスタッフとなった時、先輩から「顔の表情が大分やわらかくなったよ。笑顔を保つのは、大変だろうけどね」と言われたのです。
〈大変そうに見えるようでは、まだまだだな》と思いつつ、笑顔の大切さを教えてもらったことに感謝しているBさんです。
今日の心がけ◆笑顔で応対しましょう
鴨ナントカさんみたいに嘘臭い笑顔は気持ち悪い。
どこぞの営業マンが、なんのセミナーで習ったか分からないが嘘臭い笑顔で接してくるのは本当に気持ちが悪い。
5+
結局「笑顔」か。
そこまでして笑顔が健康に繋がるとでも言いたいのか……
楽しくもない嬉しくもないのに笑顔を浮かべようったって無理があるし必ず限界が来る。そう、このどうしようもない駄本と同じ様に。
なぜ人は「笑顔」になるのかが分かっていないから、こんな文章が出来上がるのです。
「笑顔」は相手のために心掛けるものでしょうか?
「笑顔」は相手のために作り出すものでしょうか?
違います。
「笑顔」は自然と出てくる感情が表情となって現れるものです。
例えば、学生時代の友人に何年かぶりに会うとことになり、待ち合わせ場所で本人と分かった瞬間のお互いの表情・・・それが「笑顔」です。
倫理法人会の講演や活力朝礼で、おじさんおばさん達が気持ち悪い表情をしていますが、あれは作り笑いであり「笑顔」ではありません。
「笑顔」と言い張っても、それは偽物です。
もし、経営者や管理者が職場の部下達に「笑顔」になって欲しければ、職場環境を見直し、誰もが自然と言葉を発せられる場にすることです。
それは、経営者や管理者のやるべきことです。
自分(経営者や管理者)達が「笑顔」で接すれば・・・と言うのも間違っていますし、部下達に強要することでもなく、まして依頼したりお願いしたりすることでもありません。
まず、経営者や管理者は、本来の「笑顔」とは何かを考えることです。
そのことを真摯に受け止め、実行しなさい。
信者の皆さんは、『大変そうに見える「笑顔」』と言う言葉に疑問を感じませんか?
自分が今「笑顔」だなぁ〜って感じている時、それは人のためですか?
「笑顔」の大切さって人から教えてもらうものではないのです。
自分自身で感じるものなんですよ。
あ?
子供の引率かよ。
別に笑顔だろうが何だろうがちゃんとしてたら何とも思わねえよ!
それより笑顔が胡散臭い軽薄な営業マンは騙しに来てるなと不審にしか思わない。
それだで普通だった職場に倫理の連中が来た時、これを真っ先に言われた事を思い出しました。「口角上げて笑顔をつくれ」。
笑顔を作るのが大変そうって馬鹿か?
大変そうな笑顔を作らせているのは、お前ら倫理法人会とその信者だろ。
笑顔は無理やり作るものではない。
この文章で反感を買うのは「笑顔」とは何かを理解していないまま使っていることです。
「笑顔」を全て「作り笑い」に変えていただきたい。
それなら納得するし、非信者は理解すると思う。
「それ以来、人前に出る際には口角を上げ、作り笑いを心がけるようにしました。すると相手も作り笑いになり、自分の気持ちもより明るくなることを感じました。」
これが信者集団会合の現実です。
表面を作り上げれば、内面も良くなると錯覚させるのが倫理法人会の得意分野なのです。
汚れた心で綺麗な言葉を使わないでもらいたいものです。
100%笑顔になれる人って誰だと思いますか?
0歳児です。そう、赤ちゃんです。
もし、真剣に笑顔のことを学びたいなら、赤ちゃんと接することです。
口角を上げた作り笑いで赤ちゃんは笑顔にはなりません。
しかし、こちらが笑顔に近づいてくると赤ちゃんは(その努力を感じてか)笑顔になります。
その時、自分が笑顔になれたことに気がつけば赤ちゃん先生に感謝すれば良いです。
安心、優しさ、親しみを感じた時、人は年齢関係なく笑顔になれるのです。