2021/01/03 思いを込める

日本には、新年に年賀状で挨拶をするという文化があります。
昨今では、「年賀状離れ」という言葉も聞かれるようになりました。しかし、国民一人当たりにすると、数十通の年賀状をやり取りしたことになるようです。
パソコンで年賀状を作成する際も、宛名やデザイン、手書きでメッセージを添えるなど、電子メールやSNSに比べると手間と時間がかかることも事実です。
それでも、未だに、手間と思いが込められた年賀状の文化がなくならないのは、デジタルとは一味違った温もりを感じられるからかもしれません。
それは、遠く離れている相手との一年に一度の年賀状のやり取りで、互いの関係を途絶えさせることなく、つなぎとめるという大きな役割があるからでしょう。思いの込められた年賀状は、受け取った人の心に響くものとなるのです。
日頃、電子メールやSNSでメッセージを送る時も、相手のことを思い、受け取った人が喜ぶような工夫をしてみてはいかがでしょう。
そうした思いや工夫は、きっと相手との距離を縮めてくれることでしょう。

今日の心がけ◆相手が喜ぶメッセージを届けましよう

ほら。手書きが良いっていうこの変わらぬスタンス。何人かの著者がいますが、これだけは一貫しています。今回は、「ハガキよりは劣るがSNSやメールでも工夫しましょう」見たいな書き方をしています。

何回も言ってますがビデオ電話の方が思いが伝わるでしょ。

こういう人が集まると香川県のゲーム1時間というバカげた条例が出来るのでしょう。ゲームはダメで読書は良いとか、アニメはダメでNKHは見て良いとかそんなんと一緒ですよ。自分が子供のころにやった事は良い事で新しい事はダメな事っていう考えです。ただ新しい事が理解できないから否定しているだけですよ。

4+

2 件のコメント

  • 「デジタルとは一味違った温もりを感じられるからかもしれません。」と思っている人は少ないのでは無いでしょうか?
    私は、裏面全てを業者がデザインした印刷物のような年賀状には何も感じません。

    「遠く離れている相手との一年に一度の年賀状のやり取りで、互いの関係を途絶えさせることなく、つなぎとめるという大きな役割があるからでしょう。」
    この件数は少ないのではないでしょうか?
    遠く離れていて一年に一度の年賀状のやり取りで、「本年もよろしくお願いします。」は、何かおかしいように感じます。
    仮に「遠く離れている相手」との年賀状のやり取りだけだったら、「国民一人当たりにすると、数十通の年賀状をやり取りしたことに」遥か及ばないでしょう。

    とにかく、年に一度の挨拶文に過大な期待や使命感を持たせては「年賀状」に気の毒です。
    気軽な年始の挨拶…程度で良いじゃないですか。

    逆に、仕事や手軽なメッセージのやり取りに使う電子メール等に対して、思いを込めるとか、受け取った人が喜ぶような工夫なんてしていたら、出す方も貰う方もストレスが溜まります。

    ちなみに、私の年賀状作りはフォトショップを使って写真加工をして楽しんでいます。
    自分自身が楽しんでいるからやれるんです。
    相手が喜ぶことを優先するなら、年に一度の手間と思いが込められた年賀状を送るより、「よっ!久しぶりだねぇ〜♪」と電話しちゃった方が絶対に良いよ。

    2+
  • なぜ手書きを薦める糞本は印刷物なんでしょう?
    これまで数百回は疑問に思ってます。
    結局読者を見下してるから、教団は印刷物で良く信者は手書きをしろと言えるのでしょうね。

    3+
  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)