専門学校を卒業して、住宅メーカーに就職したTさん。初めは建設部門に配属され、得意分野でいきいきと働いていました。
ところが三年後、営業部門に配属されることになりました。口下手なTさんには、一番苦手な分野です。「営業をやりたくて入社したわけではない」「もう辞めてしまおうか」と思い悩んだ末、信頼する先輩に悩みを打ち明けました。
先輩からは「結論を出すのは早いよ。やってみて、それでもダメなら、もう一度考えてみたらどうか」と助言されました。そしてこ一言、「君はできるよ」と、背中をポンと叩かれたのです。
営業部でのTさんは、予想通り苦労の連続で、落ち込むことも度々ありました。それでも先輩の言葉を胸に、自己を成長させ続けてきました。
それから二十年経った先日、営業成績優秀により社長表彰を受けたのです。
「あの時、楽に見える道を選ばずに良かった」と、先輩に感謝しているTさんです。できないと思っていることでも、能力は次第に開発されるものです。
今日の心がけ◆内なる可能性を信じましょう
建設をしたくて、専門学校まで行ったのにまるで畑違いな仕事をされられ、20年たった今どのような気持ちでしょうか。
建設で咲くはずだったかもしれない芽を摘んでしまった先輩の助言は正しかったのでしょうか。もし自分が先輩だったら、本当にやりたい事をよく考えるように助言しますね。
こように、命令に従順である事が正しいみたいな事をこの糞本には書いてあるわけです。
あと最後の”「あの時、楽に見える道を選ばずに良かった」と、先輩に感謝しているTさんです。”ここですよ問題は。なぜ建設が楽なのかが全然わかりません。文章が破たんしているんですよ。人の気持ちを逆なでするに特化した文章を書くスペシャリストですかあなたは。
Tは、得意分野で仕事をしたく「やはり建設部門」と言う結論を出しているにもかかわらず、先輩信者の根拠のない「君ならできるよ」的な無責任な一言で騙された結果、会社のために働かされてしまいました。
人が目指そうとしていた仕事を「楽に見える道」と言われ、可能性を潰され、目に見えないものに感謝させられたTの人生は幸せだと言えるでしょうか。
転職させない、その場所で働き続けろと倫理法人会は今も言い続けています。
若い信者は、早いうちに目を覚まして欲しいと真面目に願います。