2026/02/02 春への期待

厳しい寒さの中でも、春の気配を感じられることが多くなる2月。周りの景色を見つめてみると、季節の変化を感じられることでしょう。
春を最初に知らせてくれる植物の1つに梅があります。古くから日本では1月から3月までを春とし、梅の花に春の訪れを感じ、それを和歌に詠んできました。
おほぞらは梅のにほひに霞みつつくもりもはてぬ春の夜の月  藤原定家
この歌は「大空は梅の香りに霞んでいて、曇りきることのない春の夜の月である」という意味です。梅の香りが立ち込め、その香りで空が霞んでいるように感じられるという、五感を使って詠まれた名歌です。
仕事に追われ、せわしない日々が続くと、季節の変化にも疎くなりがちです。パソコンやスマートフォンの画面を見ることが多い毎日ですが、1週間に1度は周りの景色を見つめてみるとよいでしょう。
五感を研ぎ澄ますことで、自然と心の余裕が生まれます。春の訪れを体いっぱいに感じながら、今日も仕事に励いたいものです。

今日の心がけ◆五感を研ぎ澄ませましょう

なんだその民間療法にも及ばない謎の提案は。
社員に求めているのは「心の余裕」ではなく、「倒れずに働き続けるための自己メンテナンス」であり、それを押し付けてくるこの文章には、搾取の構造が如実に表れている。まさに悲劇。

感想例

事務・管理職向け

今日の文章を読んで、普段の自分が画面の中の数字や文字ばかりを追いかけて、周囲の空気の変化に鈍感になっているかもしれないと反省しました。 仕事に追われていると、どうしても自分のことだけで精一杯になってしまいます。これからは、例えばオフィスの空調の効き具合や、同僚のちょっとした様子の変化など、周りの環境にもっと意識を向けられるようになりたいと思います。 そうした小さな気づきの積み重ねが、結果として働きやすい職場環境づくりや、チームワークの向上につながるのではないかと感じました。

【感想要点】

  • 画面ばかり見て周囲に鈍感になっている自分を反省する。
  • オフィス環境や同僚の変化に気づくよう意識を変える。
  • 小さな気づきがチームの働きやすさに繋がると結ぶ。

技術・製造・現場職向け

景色を見て五感を研ぎ澄ますというお話でしたが、私たちの現場においても、五感は非常に重要な役割を果たしていると思いました。 機械の回転音のわずかな違いや、現場のにおい、振動など、数値やマニュアルだけでは捉えきれない異常を察知できるのは、私たち人間の感覚だけだからです。 忙しいとつい確認作業がおろそかになりがちですが、五感をしっかり働かせて「いつもと違う」という違和感を見逃さないようにしたいと思います。そうした丁寧な仕事が、事故や不良を防ぎ、品質を守ることにつながると信じて業務に取り組みます。

【感想要点】

  • 現場における五感(音、におい、振動)の重要性を強調する。
  • 五感をセンサーとして使い、異常や違和感を察知する。
  • 丁寧な確認作業が安全と品質を守ると宣言する。

営業・サービス職向け

梅の香りで春を感じるように、五感を働かせることの大切さを学びました。これはお客様とのコミュニケーションでも同じことが言えるのではないかと思います。 お客様との会話の中で、言葉として発せられる要望だけでなく、その場の雰囲気や表情、声のトーンといった「言葉にならないサイン」にこそ、本音が隠されていることがあるからです。 忙しいとついマニュアル通りの対応になってしまいがちですが、目の前のお客様の様子を五感で感じ取り、相手の心に寄り添った対応ができるよう、心に余裕を持って接していきたいと思います。

【感想要点】

  • 五感を、顧客の「言葉にならないサイン」を感じ取る力に置き換える。
  • 雰囲気や表情から本音を察することの重要性を説く。
  • 心に余裕を持ち、相手に寄り添う対応を目指す。

本の紹介

あやうく一生懸命生きるところだった ハ・ワン

本文が「五感を研ぎ澄ませてリフレッシュし、さらに仕事に励め(もっと頑張れ)」と説いているのに対し、本書は「一生懸命生きることをやめたら、逆に人生がうまくいき始めた」という実体験をもとに、「無駄な努力や競争から降りること」を推奨しています。「景色を見て心を整える」などという小手先のテクニックではなく、そもそも「心をすり減らす働き方」そのものを否定する一冊です。
「週に一度くらい景色を見よう」なんて言われないと休めないほど、毎日必死に働いていませんか? もしあなたが「仕事に励む」ことに疲れ果てているなら、この本が特効薬になるかもしれません。 韓国でベストセラーとなった本書は、必死に努力し続けてきた著者が「もう頑張るのはやめた」と決意したことから始まります。 職場の教養が説くような「リフレッシュしてまた頑張ろう」というループから抜け出し、「ほどほどに生きる」勇気をくれる一冊。 梅の花を見る余裕すらないあなたに、本当の意味での「心の余裕」とは何かを教えてくれます。

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3 件のコメント

  • 五感を研ぎ澄ますことで、自然と心の余裕が生まれる?

    エセ倫理と関わっていると、五感を研ぎ澄ますとエセ倫理からの危険を察知して、心の余裕なんか生まれませんよ。

    それに仕事に追われ、せわしない日々が続くと、季節の変化にも疎くなりがちにしているのは、エセ倫理が大好きな奉仕の精神=サービス残業のおかげもありますよ。

    エセ倫理と関わると、当然のごとくロクでもない出来事が生まれ、心の余裕などありませんよ。

    研ぎ澄ますのは五感ではなく、エセ倫理や信者たちからの気概を察知することですよ

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  • 地球温暖化の影響もあってか、日本の季節感は大きく変わりつつあると感じています。夏は異常な高温が長期間続き、冬には東北や北陸を中心に、かつてないほどの豪雪が見られます。そうした現実を思うと、「春の気配を感じられることが多くなる2月」という表現は、現在の日本の状況を十分に踏まえているとは言い難く、特に冬の屋外で働く人々にとっては違和感や反感を覚えさせるのではないかと危惧しています。

    実際、昨日は土曜日でしたが、自宅前の道路では古いアスファルトを剥がし、新しい舗装を行うために、10名ほどの作業員が寒さの中で作業をしていました。すべての社員が温かい室内で仕事をしているわけではなく、むしろ冬だからこそ、厳しい環境の中で働く人たちがいるという現実があります。そうした人々の立場や気持ちに寄り添う内容であってほしいと感じました。

    また、業務の効率化に大きく貢献しているパソコンや携帯情報端末を、暗に否定するような表現にも疑問を覚えます。これらは現代の仕事を支える重要な道具であり、一概に距離を置くべき対象として扱うのは現実的ではないでしょう。

    休日に自然の中で心身を癒すことは、多くの人がすでに実践していることです。だからこそ「職場の教養」として取り上げるのであれば、精神論に留まるのではなく、仕事がより円滑に、そして気持ちよく進むための環境づくりや、効率的な業務指導といった、実務に直結する内容を示してほしいと感じます。全体として経営者側の視点に偏っているように見える点には、正直なところ、少なからず疲労感を覚えています。

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  • 私はこれまで「職場の教養」を読み続ける中で、次第にある違和感を抱くようになりました。
    それは、個人の体験談や価値観が、十分な検証を経ないまま「教訓」や「正解」として提示されてはいないか、という点です。

    多くの文章に共通しているのは、「心を整え、気分を切り替え、また仕事に励もう」という構図です。自然を見る、景色を味わう、気持ちを切り替える―それ自体は決して悪いことではありません。しかし同時に、なぜそこまで疲弊する働き方になっているのか「その構造自体を見直す視点が、ほとんど語られない」という点に、私は強い限界を感じています。

    そんな中で紹介された一冊が、ハ・ワン著『あやうく一生懸命生きるところだった』です。

    この本は、「五感を研ぎ澄ませてリフレッシュし、また頑張ろう」とは語りません。むしろ著者は、自身の実体験を通して、「一生懸命生きることをやめたら、人生がうまく回り始めた」と率直に語ります。

    ここで示されているのは、休み方の工夫や気分転換のテクニックではなく、そもそも心をすり減らす競争や、無駄な努力から降りるという選択です。「週に一度、景色を見て心を整えましょう」と言われなければ休めないほど、私たちは本当に健全な働き方をしているのでしょうか。

    以前の「恵方巻」を題材にした職場の教養では、「雑念を断ち、周囲を遮断し、無言で一気にやり切る」ことが美徳として描かれていました。しかし現実の職場で本当に必要なのは、遮断することでも、黙って耐えることでもなく、多くの情報や人間関係、選択肢の中から“選び取る力”ではないでしょうか。

    集中とは、思考を止めることではありません。立ち止まり、考え、必要なら助けを求め、やり方や目標そのものを見直す力です。また、冬の屋外作業や現場労働のように、「景色を楽しむ余裕すらない環境」で働く人たちも確実に存在します。そうした現実を踏まえず、精神論だけで語られる教養は、時に現場の疲労感をさらに深めてしまう危うさを持っています。

    『あやうく一生懸命生きるところだった』が示しているのは、「怠けること」ではありません。無自覚に追い込まれる生き方から、一度降りる勇気です。

    本来あるべき行動や考え方とは、「もっと頑張ること」でも「気合で乗り切ること」でもなく、自分の状態を疑い、環境や仕組みを問い直し、選び直すことなのだと思います。「職場の教養」に違和感を覚える感性は、否定でも反抗でもありません。それは、まだ自分の頭で考えようとしている証拠です。

    教養とは、答えを与えるものではなく、問いを持ち続ける力を育てるもの。その原点に、今一度立ち返る必要があるのではないでしょうか。

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