近年のデジタル化の進展で、文書作成の効率や情報伝達のスピードが格段に向上し、便利になりました。しかしその一方で、手書き文字を書く機会が減りました。
手書きの文字はデジタル文字と異なり、一人ひとり違います。その文字には書き手の人柄もにじみ出ていて、感情的な情報が反映されています。
文字の個性を分析して、その人の性格や行動パターンを読み取ることを「筆跡診断」といい、1662年にイタリアの医師カミロ・バルディ(Camillo Baldi)が「筆跡には個人差が存在する」と題した筆跡に関する論文を発表しました。
文字は意識的に書いているようでも、線の太さや長さ、形など、無意識に手がいつもの書き方を繰り返しており、書き手の心遣いや行動習慣が表れます。
筆跡研究者の森岡恆舟(こうしゅう)氏は著書の中で、「意識的に良い筆跡に変える稽古を続けることにより、心の状態が変わる」と述べています。
お手本をもとに文字を習う「書道」のように、私たちも無意識に行っている心の癖に気づき、周囲の人の良い習慣を見習い、自己向上に努めたいものです。
今日の心がけ◆自己向上に努めましょう
1662年の論文を持ち出して「人柄がにじみ出る」とかw
筆跡と性格がどのように関係しているかを現在の科学的な立場で書いた論文を紹介して。頼むから。
1662年なんて魔女狩りの時代だぜ。そんな時代の論文を持ち出してさも科学的であるかのように語ってどうするよ。
感想例
最近は仕事でもパソコンを使うことがほとんどで、手書きで文字を書く機会が減ったと感じます。しかし、今日の話を読んで、手書きの文字にはその人らしさが表れるという点に、改めて気付かされました。 本文にあった「意識的に良い筆跡に変えることで、心の状態が変わる」という部分は、文字のことに限らないと思いました。私自身も、仕事の進め方や人との接し方で、無意識のうちの癖があるかもしれません。まずは、周囲の先輩方の良い仕事のやり方や、丁寧な言葉遣いを意識して真似ることから始めてみたいと思います。そうした小さな努力を続けて、自己向上につなげていけたらと思いました。
自己向上に努めましょう?
目下の者に求めるよりも、まずは信者が自己向上に努めていますか?エセ倫理にハマって自己放棄していますよ。
この職場の教養でも、自己向上と言いながら、常に信者やエセ倫理を優先する信者本位を求めています。
このように自己向上と有難い言葉を使っていますが、本心は自己放棄を要求しているという真逆の教えです。
まあ自己放棄だけで終わればいいのですが、自己の家族や友人なども放棄させられる可能性もあります。
どうしてもアナログを美化したいようです。そのために、「便利」という言葉を(あたかも「甘えている」という表現で)否定する。アナログを「人柄」「感情」という言葉で受け入れる。手書きは素晴らしいという結果を導き出すために、肯定的なメリットだけを例に出して信者を洗脳するのは、滑稽であると言わせてもらいますね。