Yさんは離れて暮らす母親に、毎月電話をかけて様子を聞いています。ある日、母親に電話をすると、いつもより声が沈んでいました。
母親に理由を尋ねると、風邪をひいて熱があるといいます。「大事にしてね。何かできることがあれば遠慮なく言ってね」と伝えて電話を切りました。
この電話から数日経ったある日、Yさんが母親に電話をすると、明るい声が返ってきました。母は「今回は10年ぶりに本格的な風邪をひいたけれど、今は風邪をひく前より体が軽くなった」と言うのでした。
病気は悪いことばかりではありません。例えば、発熱は体内に侵入した病原菌の増殖を抑えるために必要な体の反応であるといいます。
中にはYさんの母のように、しっかりと体を休ませたことから、「回復後は体がすっきりした」という経験を持つ人もいるのではないでしょうか。
健やかに過ごすためにも、睡眠や休息、食事の質をあげることや、手洗いなどの予防を心がけて、寒い時期を乗り越えていきたいものです。
今日の心がけ◆体内の働きに感謝しましょう
そんな経験を持つ人はいねーよ。
科学的根拠を無視したオカルト染みた精神論を朝から聞かされる身にもなってほしい。
感想例
① 事務・管理職向け
お母様が体調を崩された際のお話を聞いて、改めて日頃の管理の大切さを感じました。事務の仕事でも、小さな入力の誤りや確認不足が、後で大きな問題に繋がることがあります。体調も仕事も、異変に早く気づいて、無理をせずに整えることが、結果として部署の皆さんに迷惑をかけないことに繋がるのだと思いました。私も、自分の体調を過信せず、余裕を持った予定を立てて、確実な仕事ができるように努めていきたいと考えています。
感想要点
- 小さな異変に早く気づくことの重要性
- 無理をしないことが組織への貢献になる
- 余裕を持った予定管理で正確な業務を遂行する
② 技術・製造・現場職向け
機械の整備と同じように、人間の体も日々の点検と手入れが欠かせないものだと感じました。熱が出るという反応が、体が自分を守るための動きであるというお話は、安全を守るための警報装置のようだと思います。現場での作業を安全に進めるためには、自分自身の体が万全であることが一番の基本です。少しでも疲れを感じたら早めに休み、食事や睡眠を大切にして、常に高い品質の仕事ができる状態を保つように心がけたいと思います。
感想要点
- 体の不調を安全装置の警告として捉える
- 万全な体調管理が現場安全の基本である
- 良質な休息と食事で仕事の質を維持する
③ 営業・サービス職向け
お母様が元気になられた後の明るい声のお話を聞いて、健康でいることは、接する相手に安心感を与えるのだと感じました。お客様と向き合う際、自分の元気が足りないと、相手の方にもそれが伝わってしまいます。相手を思いやる気持ちを形にするためにも、まずは自分自身が健やかでいることが大切なのだと思いました。寒い日が続きますが、手洗いやうがいを徹底して、いつも穏やかな表情で対応できるように、生活を整えていきたいと思います。
感想要点
- 自身の健康がお客様への安心感に繋がる
- 誠実な対応の土台として健やかな状態を保つ
- 基本的な予防の徹底で安定した対応を目指す
本の紹介
『健康という病』
著者:木島 武雄
本書は、現代社会において「健康であること」が一種の義務となり、人々がそれによってかえって追い詰められている現状を鋭く批判しています。本文が説く「病気すらも前向きに捉え、健康管理を自己責任で感謝の対象にする」という考え方が、いかに私たちの精神を束縛し、不自然な強迫観念を生んでいるかを解き明かします。

健やかに過ごすためにも、睡眠や休息、食事の質をあげることなど有難いことを言ってますが・・
エセ倫理の実態は、活力朝礼やサービス残業のお陰で睡眠や休息が減っていますけど。
エセ倫理の影響の方が大きいですが、信者企業が赤字で倫友価格の給与がコロナ後の物価高に追い付いていないので、食事の質も低下していますけど…
穏やかに過ごすために活力朝礼やサービス残業を減らす努力をしてくれるのでしょうか?
倫友価格の給与は上げなくてもサービス残業の一部でも残業代を払う努力をしてくれるのでしょうか?
絶対にしないでしょう。さらに活力朝礼やサービス残業を増やし、給与を下げようと努力するのが実態です。
下手な作り話や実態と真逆のことばかり言って騙すのがエセ倫理の基本です。
正月早々、奇天烈なことを言い出しますね。正直、驚きました。
病気は悪いことばかりではないので、たまには病気をするのも良いもんだって言いたいのでしょうか?
体内の働きに感謝できるでしょって?
私は逆に、年に一度の人間ドックを推奨します。
どちらが「職場の教養」でしょうか?
それでも、信者は病気になることを選ぶのかな?
「職場の教養」では、風邪や発熱といった体調不良でさえ、「体内の働きに感謝しましょう」「病気も前向きに受け止めましょう」といった形で、心の持ちようや姿勢の問題としてまとめられているようです。一見すると温かく、前向きな言葉に聞こえます。
しかし、木島武雄著『健康という病』を読むと、そこにある危うさが見えてきます。
この本が指摘しているのは、現代社会では「健康であること」が努力や道徳の問題にすり替えられているという現実です。健康でいられる人は「正しい生活をしている人」、病気になる人は「自己管理が足りない人」。こうした見方が広がると、体調を崩した人は「治せない自分」「前向きになれない自分」をさらに責めることになります。
「病気にも意味がある」「感謝すれば回復する」という言葉は、元気なときには励ましになります。しかし、回復できない人や、苦しさの只中にいる人にとっては、“前向きでいられないこと”まで自己責任にされてしまう重たい言葉にもなり得ます。
本来、健康や病気は、人格や努力を評価する物差しではありません。誰もが不調になるし、休まなければならない時期もあります。それは人として「弱い」のではなく、生きている以上避けられない現実です。だからこそ、「体内の働きに感謝しましょう」ではなく、「感謝できないほどつらい状態があることを認め合いましょう」という視点も、同時に必要ではないでしょうか。健康を大切にすることと、健康でいられない人を責めないこと。この二つは、本来セットで語られるべきです。
教養とは、前向きな言葉を押し付けることではなく、誰かの弱さを想像できる余白を社会に残すこと。『健康という病』は、そのことを静かに教えてくれる一冊だと思います。