年末や年度末を迎える時期になると、スーパーや量販店などでは「総決算大セール」と銘打ち、積極的な販売促進が行われることがあります。
企業活動においては、1年間の締めくくりとして「決算」という言葉が一般的に用いられますが、「総決算」は、どちらかといえば個人の消費や人生、諸活動の締めくくりの意味で使われることが多いようです。
1年間の自身の消費活動を振り返り、今年一番の高価な買い物やセール情報、ポイント還元、少額投資など、お金にまつわる身近な話題を職場や家族間で語り合ってみるのも一興ではないでしょうか。
そうした消費活動について会話をしてみると、収入の元となる仕事そのものだけでなく、共に働く仲間、お客様や取引先、家族や友人など、今年1年で関わりのあったさまざまな関係性が見えてくるものです。
1年の締めくくりに当たるこの時期、人や物事、その他の諸事について、今年はどのような関わり合いの中で生活してきたのか、改めて考えてみましょう。
今日の心がけ◆お金と生活について考えましょう
「今年一番の買い物は何?」なんて職場で話し合えとか、正気か? なけなしの金を何に使ったかなんて、プライバシーの侵害も甚だしい。
感想例
事務・管理職向け
今年一年を振り返ると、自分個人の買い物だけでなく、会社として備品を購入したり、経費を処理したりする場面も多くありました。 一つひとつの数字の向こう側には、現場で汗を流してくれている皆さんや、取引先の方々の顔があるのだと改めて感じています。 事務という仕事は直接お金を生み出すわけではありませんが、皆さんが働きやすい環境を整える「投資」のような役割ができればと思っています。 来年も、数字を追うだけでなく、その先にある人との信頼関係を大切にし、少しでもチームの役に立てるよう、丁寧な仕事を心がけたいと思います。
【感想要点】
- 経費処理などの業務を通じて、他部署や取引先との繋がりを再認識した。
- 事務職を、皆が働きやすくなるための「投資」と捉える視点を持つ。
- 数字だけでなく、その背後にある信頼関係を重視し、来年の業務に活かす。
技術・製造・現場職向け
「今年一番の買い物」というテーマで考えてみると、私は趣味で使う工具を新調したことが思い浮かびました。 良い道具を手に入れると、大切に使おうという気持ちが自然と湧いてきますし、それが作業の質や安全にもつながると感じています。 これは普段の業務でも同じではないでしょうか。 私たちが毎日扱っている機械や設備も、会社の大きな「買い物」であり、大切な資産です。 自分の持ち物と同じように、一つひとつの道具や機械への感謝を忘れず、基本動作を徹底することで、来年も無事故で高品質な製品を作り続けていきたいと思います。
【感想要点】
- 個人の買い物(工具など)での「大切に使う」という意識を業務にリンクさせる。
- 会社の設備も「大切な買い物(資産)」であると捉え直す。
- 道具への感謝と基本動作の徹底が、安全と品質向上に繋がると結ぶ。
営業・サービス職向け
自分の買い物を振り返ってみると、商品そのものの良さはもちろんですが、店員さんの対応や心遣いが購入の決め手になったことが何度もありました。 私たちがお客様に商品やサービスを提案する際も、お客様にとってはそれが「今年一番の買い物」になるかもしれないという緊張感を持ちたいと思います。 単に物を売るのではなく、その背景にあるお客様の生活や思いに寄り添うことが、信頼関係を築く第一歩なのだと感じます。 来年も、お客様一人ひとりの「思い」を大切にし、誠意ある行動で期待に応えられるよう努力していきたいと思います。
【感想要点】
- 自身の購入体験から、店員の対応が購買決定に与える影響を再確認する。
- お客様にとっての「大きな買い物」に関わっているという責任感を持つ。
- 商品を売るだけでなく、背景にある思いに寄り添い、信頼を得る姿勢を示す。
本の紹介
消費社会の神話と構造
- 著者: ジャン・ボードリヤール (著), 今村 仁司 (訳), 塚原 史 (訳)
本文は「消費を通じて人間関係や人生を見つめ直そう」と説きますが、本書は「消費とは、商品そのものの価値ではなく、社会的地位や記号を消費させられているに過ぎない」と看破します。職場で買い物の話をさせること自体が、消費社会というシステムへの隷属を確認し合う儀式でしかないことを痛感させる一冊です。

Q、文中「一興ではないでしょうか。」という言葉を使っていますが、筆者は高齢の方かと思います。おおよそ何歳だと思いますか?
A、推測になりますが、「一興ではないでしょうか。」という表現から受ける語感を手がかりにすると、筆者はおおよそ60代後半〜80代前半ではないかと考えられます。
理由は主に次の点です。
* **語彙の世代感**
「一興(いっきょう)」は現代日本語でも意味は通じますが、日常会話やビジネス文書ではほとんど使われません。昭和期の教養的文章や新聞・社説に親しんだ世代に多い表現です。
* **語り口の距離感**
「〜してみるのも一興ではないでしょうか」「改めて考えてみましょう」といった上からでも下からでもない“教訓的・啓蒙的”な語り口は、人生経験を前提に語る高年齢層の文体に近いです。
* **内容との整合性**
消費・決算・人間関係を「振り返る」視点が強く、未来志向よりも総括・回顧に重きが置かれている点も、高齢層の執筆スタンスと一致します。
なお、倫理法人会「職場の教養」は組織としても昭和的価値観や言語感覚を色濃く残している媒体なので、実年齢が多少若くても、意図的にこの文体を採用している可能性はあります。
その点を踏まえても、少なくとも50代以下の自然文体ではなく、60代以上の感覚と見るのが妥当だと思われます。
倫理法人会「職場の教養」は、しばしば日常的な話題――とりわけ消費や仕事、家庭の出来事――を通して、人間関係や生き方を振り返ることを促します。今回の「今年一番の買い物」も、一見すると身近で無難なテーマに見えます。
しかし、ジャン・ボードリヤールが『消費社会の神話と構造』で鋭く指摘したように、現代の消費とは、商品そのものの価値を味わう行為ではなく、社会的地位や役割、価値観といった「記号」を消費させられる仕組みでもあります。私たちは自由に選んで買っているつもりで、実は社会が用意したコードに従って、自分の立ち位置を確認させられているに過ぎないのかもしれません。
この視点に立てば、職場で「高価な買い物」や「お得な消費」を語り合うことは、単なる雑談ではなく、消費社会への適応や同調を無言のうちに確認し合う儀式とも言えます。そこでは、人間の価値や関係性が、仕事の中身や生き方ではなく、何を買い、何を所有したかで測られてしまう危うさがあります。
本来、職場で大切にされるべきなのは、「何を買ったか」ではなく、「どのように働き、どのような責任を引き受け、誰のために力を使ってきたのか」という問いではないでしょうか。消費を通じて人生を見つめ直すのではなく、人生や仕事の在り方から、消費の意味を相対化して見つめ直す必要があるはずです。
教養とは、社会にうまく適応するための心得を繰り返し確認することではなく、当たり前とされている仕組みそのものを疑い、距離を取る力でもあります。消費を語る前に、消費に支配されていないかを問い直すこと。そこからこそ、本当の意味で主体的な生き方や、成熟した職場の関係性が始まるのではないでしょうか。
お金と生活について考えましょう?
エセ倫理や信者たちは目下の者のお金や生活について考えていますか?
安い倫友価格の給与や仕入代金の中から不要なモノを買わされて大迷惑。奴隷会員の会社に信者が物品を押し売りに来ることもよくあります。
サービス残業で、家族サービスや趣味の時間もない。
金じゃない。奉仕の心だとか言って、金を汚いもののように他人に主張する奴こそ金に汚い。
エセ倫理や信者のお陰でお金も生活もボロボロになりますよ。
目下の者の迷惑を考えられるようになってから言ってください。