2025/12/10 心を育む

寒い朝、吐く息が白く広がる静寂の中に立つと、身も心も引き締まります。そんな瞬間、凛とした清々しさを感じたことのある人は、どれほどいるでしょうか。
先行きが見えにくく不安が募る時代には、思いがけない出来事に巻き込まれたり、人間関係がこじれたりすることがあります。そのような時こそ、心に「空所(くうしょ)」を持つことが大切です。
例えば、仕事が立て込んでいるときに、ほんの5分だけ席を離れて屋外の空気に触れ、深呼吸をする。忙しい朝に、少しだけ意識を家族に向け「おはよう」と声をかける。相手と意見が食い違ったときも、まずはその考えを受け止める。
こうした小さな実践が、心に落ち着きと余裕をもたらし、柔軟な姿勢を育ててくれます。その積み重ねは、やがて人間関係に温かさをもたらし、新しい発想や協力の芽を育んでくれることでしょう。
〈冬の寒さが私の心を育ててくれる〉と受け止める勇気と、日々の生活の中で空所を持つ工夫が、激動の社会をしなやかに歩むための秘訣なのかもしれません。

今日の心がけ◆心に空所を持ちましょう

「心に空所を持つ」余裕が無くなった理由を棚上げし、こんな糞本を読ませている時点で、どうせ「暖房費をケチった寒いオフィスでも文句を言うな」って言ってんだろって思われても仕方がない。


感想例

① 事務・管理職向け

年末に向けて業務が重なると、どうしても目の前の処理に追われ、周囲への配慮がおろそかになりがちだと感じました。忙しい時ほど、一呼吸置く「心の空所」がないと、ミスを誘発したり、冷たい対応をしてしまったりするのかもしれません。これからは、意識的に席を立って深呼吸をするなど、自分の中で切り替える時間を作りたいと思います。そうした小さな心の余裕が、結果としてチーム内の円滑な連携につながればいいなと思います。

  • 感想要点
    • 忙しい時こそ意識的に一呼吸置く
    • 心の余裕がミス防止と人間関係改善につながる
    • 自分なりのリセット方法を持つ

② 技術・製造・現場職向け

「空所」という言葉は、私たちにとっては安全確認のための「一間(ひとま)」に置き換えられる気がします。作業が詰まっている時こそ、あえて手を止めて状況を確認する勇気を持ちたいと思います。その冷静さが、事故や不良を防ぎ、結果として自分と仲間の安全を守ることにつながると信じて、日々の業務にあたりたいと思います。

  • 感想要点
    • 「心の空所」を安全確認の「一間」と捉える
    • 焦りこそが事故や不良の元凶
    • 冷静な判断が自分と仲間の安全を守る

③ 営業・サービス職向け

お客様と接する際、こちらの心に余裕がないと、それが表情や声のトーンに伝わってしまうのではないかと反省しました。意見が食い違った時こそ、一度相手の言葉をしっかり受け止めるという「心の空所」が、信頼関係を築く第一歩になるのだと思います。忙しい時でも、お客様の前では一呼吸置いて、穏やかな気持ちで向き合えるよう心がけたいです。そうした姿勢が、相手に安心感を与え、良い関係性を育んでいけるのではないかと思います。

  • 感想要点
    • 心の余裕不足はお客様に伝わる
    • 反論する前に相手を受け止める余裕を持つ
    • 穏やかな姿勢が信頼と安心感を生む

本の紹介

多分2回目の紹介です。

「やりがいのある仕事」という幻想

著者:森山 至貴

「辛い仕事も、自分の成長のためだと思えば頑張れる」…そう思い込もうとしていませんか? もしあなたが、今日の『職場の教養』を読んで「理不尽な寒さや苦労を美化するのはおかしい」と少しでも感じたなら、この本はあなたのためのものです。本書は、企業がどのようにして「やりがい」という言葉を使い、労働者から思考停止と奉仕を引き出しているかを社会学的に解き明かします。 「心が育つ」なんて綺麗な言葉に騙されて、心を壊してしまう前に。精神論ではない「働くこと」の真実を知りたい方に、ぜひ読んでいただきたい一冊です。

1+

5 件のコメント

  • 色々と問題点を挙げてくれるけど、「小さな実践」なんてものは既にやっている。それでもスッキリしない原因は、「職場の教養」の存在だ。倫理法人会は会社から撤退して、古き良き時代の朝礼を復活させることが唯一の解決方法だ。

    4+
  • 『「やりがいのある仕事」という幻想』著者:森山 至貴を、電子書籍で先ほど購入しました。じっくり読んでみたいと思います。

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    「やりがい」とは、いったい誰のためにあるのでしょうか。本来それは、働く側が自分の内側から自然に感じるものであって、倫理法人会や企業が与えたり、指導したりする性質のものではないはずです。しかし現実には、「やりがい」を強要され続けることで、いつしか自分の不満や疑問を「言ってはいけないもの」と思い込み、まるで自分が悪いかのように感じてしまう危険があります。

    「職場の教養」でもよく見られるように、「あなたの成長のためだ」「仲間のために頑張ろう」といった精神論が、給与や待遇の改善を伴わないまま、過剰な働き方を正当化する武器として使われています。けれども、やりがいとは本来、ふとした瞬間に訪れる“自己の実感”であり、組織が「育成」の名で押し付けるべきものではありません。そうした押し付けは、結局「言い訳せず頑張れ」という自己責任論へと誘導されてしまいます。

    さらに今日では、企業は労働時間だけでなく、社員の心・価値観・人生観までも組織規範に合わせようとする傾向すらあります。倫理法人会の「職場の教養」や、講師を招いた研修会への参加がその一例といえるでしょう。朝の挨拶、清掃、早起きといった行為までも「人格の評価」につなげ、組織哲学や倫理観への従属を求める。著者はこれを 「情緒的支配」 と呼び、現代の新しい労務管理の特徴だと指摘しています。

    また、「心が育つ」「人間力がつく」といった精神論による美化は、社会や会社の構造的な問題から目をそらし、個人の努力にすり替える役割を果たしてしまいます。「結果として成長できたから良い経験だった」というのは、あくまで“生き延びた人”だけが言える言葉であり、企業にとって都合のよい物語にもなりがちです。

    本当に必要なのは、「やりがい」という言葉ではありません。やりがいを感じやすい、働きやすい職場環境を整えることこそ、経営者の責任です。曖昧な精神論よりも、合理的で明確な労働環境づくりが先です。美しい言葉に惑わされてはいけません。「やりがい」や「心の成長」といった抽象的なフレーズの裏には、従順な労働者をつくり出すための“呪い”が潜んでいるのかもしれません。

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    3+
  • 心に空所を持ちましょう?お前に言われたくない。

    まずはエセ倫理や信者たちが心に空所を持ってからにしてください。

    相手と意見が食い違ったときも、まずはその考えを受け止めるのもいいですが、エセ倫理や信者たちは目下の者と意見が食い違った時は徹底的に否定してきますよ。酷いケースでは、倫友を巻き込んで集団で倫理指導です。

    結果、双方の心が貧しいものとなり、信者たちはますますとエセ倫理にハマり、目下の者はエセ倫理がさらに嫌いになる。

    その積み重ねは、人間関係に破綻をもたらし、お互いに憎み合うような関係になります。

    まあ、信者や倫友たちが何をやらかすか?わからないという最悪の事態もあり得るでしょう。

    目下の者だけが一方的にエセ倫理や信者の言うことを受け入れた場合も同様です。

    エセ倫理の本部ですら、自分たちが任命した前会長の度を過ぎた行為に対するクレームに「気に入らないなら辞めろ」の対応。

    その後、県会長に倫理指導をするように派遣するんですから、最悪です。

    このように「エセ倫理が心を貧しいものにする」という現実を認識することが、激動の社会をしなやかに歩むための秘訣なのかもしれません。

    自分たちのやっていることと真逆の有難い言葉を言われても…

    4+
  • 毎度毎度の事ですが、誰のせいで「ほんの五分だけ席を離れ」る事すら出来ない状態になっているのか。
    誰のせいで「少しだけ意識を家族に向け」る機会も無く、寝ている家族を尻目にくだらないセミナーなんぞに出席しなければならないのか。
    いい加減にして頂きたい。

    2+
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