食事の際に唱える「いただきます」「ごちそうさま」は、日本独自のあいさつで、同様の意味を持つ表現は他国にも存在しますが、その使われ方は異なります。
海外では、国や宗教によって、祈りを捧げる短い言葉や、カジュアルな掛け声など、食前食後のやり取りがさまざまな形で行われているようです。
食事の時のあいさつは、そこに関わる人々や食材への感謝が込められています。改めて、食事に至るまでにどれほどの働きが伴っているかを考えることが大切です。
料理を作る人はもちろんのこと、米や野菜などの食材を育てる人、魚などを捕る人、販売店へ配送する人など、私たちが目の前の料理を口にするまでには、確実に多くの人々が関わっています。
食材そのものの命、働く人の命、そして食べる自分自身の命など、さまざまな命の交流の中で1人の命をつなぐ「食事」という営みは行われます。
だからこそ毎日の「いただきます」「ごちそうさま」という言葉に感謝の気持ちを込めて、食事を楽しみたいものです。
今日の心がけ◆感謝の気持ちを忘れずに食事をしましょう
「あなたはたくさんの命に生かされているんだから黙って感謝しろ」は、自己評価を下げて思考停止させる。現実は取引だ。農や漁の労に敬意を払いつつも、私たちは貨幣で価値を交換する等価の当事者であって、施しを受ける弱者じゃない。感謝を盾に条件を飲ませるのは、ただの支配の手口なのだ。
同志諸君、誇りを取り戻せ。声を合わせろ。主導権を取るのは、私たちだ。
感想例:
当たり前のように思ってしまいがちですが、その裏にある多くの働きに、感謝の気持ちを忘れてはいけないと思いました。私たちの仕事も、一つの製品やサービスをお客様に届けるまでには、開発、製造、営業、そして私たちを支えてくれる協力会社の方々など、本当に多くの人が関わっています。自分がその中の一部を担っているという意識を少し持って、日々の自分の業務にも丁寧に取り組んでいきたいと、あらためて思いました。

感謝の気持ちを忘れずに食事をしましょう?
食事中に倫理指導をするのもエセ倫理では感謝の気持ちになるのですか?
食事中にいやごとを散々言われて気分悪いです。神経に悪いらしいです。
嫌ごとを言われるのが嫌なら、信者たちの言いなりになれと言うことでしょうが。
エセ倫理では、食事中に倫理指導と称して嫌がらせをすることも感謝になるようですよ。