私たちの生活を支える道具は、より効率的で使いやすい物へと進化しています。人類の発展は、道具の進化とともに歩んできたと言ってもよいでしょう。
例えば古代には、穀物を砕くための道具として「サドルカーン」が発明されました。これは石でできたサドル状の受け皿に穀物を置き、上石を前後に動かして、すり潰す手挽き臼の一種です。
さらに改良された「ロータリー・カーン」は、円形の石を上下に組み合わせ、上石に取っ手をつけて回転させることで食材をすり潰す構造になっています。この構造により、作業の負担が大きく軽減されました。
これらは、現代では単純な仕組みに見えますが、こうした小さな改良の積み重ねが、今日の家庭や工場での迅速な食品加工技術へとつながっているのです。その根底には、「もっと良くしたい」という改善への姿勢があります。
たとえ小さな不便や不都合であっても、それを見逃さずに改良を重ねることが、やがて大きな進化につながるのでしょう。
今日の心がけ◆小さな改良を積み重ねましょう
道具を進化させる理由は、「もっと良くしたい」からじゃないです。「もっと楽をしたいから」ですよね。で、「もっと良くしたい」って何をですか? 収益性ですか?
感想例
「もっと良くしたい」という姿勢は、私たちの仕事にも通じるものがあると感じました。日々の業務に慣れてしまうと、つい現状を当たり前だと考えてしまいがちです。しかし、そこであえて「もっと効率的にできないか」「この手順は本当に最善だろうか」と疑問を持つことが大切なのかもしれません。私自身、大きな変革を起こすことは難しいですが、まずは自分の持ち場で、小さな非効率を見逃さないように心がけたいと思います。そうした地道な改善の積み重ねが、いずれは部署全体の働きやすさにも繋がっていくのではないか、と考えさせられました。
冒頭、道具が勝手に進化しているように書いているし、後半、「もっとよくしたい」という単純な考えで道具が進化しているように書いている。最終的には、改良を重ねることが進化する要因のように書いている。文章に一貫性がないんだよね。だから、感想は「で?」になってしまう。もう少し、作文の勉強しようね。
エセ倫理の「もっと良くしたい」というのは自分たちの儲けだけですよ。
自分さえよければどうでもいいというのがエセ倫理の考え方です。
それよりも、信者たちは社員の洗脳手段である活力朝礼に小さな改良を積み重ねていますか?
自分たちは何もしないが、人には厳しく求めるのがエセ倫理です。
もちろん、変に改良されて現在よりも悪質な活力朝礼になる可能性も大いにありますが…
小さな改良を積み重ねることによって、やがて大きな進化につながると。
なるほど。
であれば、先ずは皆さんのストレスの原因となっている「職場の強要」とやらを無くしてみましょうかね。
で、それが出来たら次の段階として「欠力嘲礼」を止めてみましょう。
実際何の役にも立ってませんし、アレ。
そして、ここまで来たら、三文の徳にすらならない「モーニングセミナー」も不参加で。
……とまぁ、こんな感じで不便で不都合な事を見逃さずに、改良を重ねていけばいいんですね!