2025/10/06 食事の挨拶

日本では、食事の前後に「いただきます」「ごちそうさま」と挨拶する習慣を大切にしていますが、そこには、形式以上の深い意味が込められています。
食事とは、太陽の光や熱、水、土など、自然の恵みによって育まれた(はぐくまれた)動植物の「生命をいただく」ことで、自らの命をつないでいく行為です。
さらに、食材が食卓に並ぶまでには、多くの人々の働きがあります。農業・漁業などの1次産業に始まり、加工・調理、物流、卸(おろし)・販売に至るまで、実に多様な工程に携わる(たずさわる)人々の働きによって、今日も食事を摂る(とる)ことができるのです。
こうした事実に気づき、食への意識を変えることで、食べ残しが減り、必要な分だけを、丁寧に、ゆっくり噛みしめながら味わう機会が増えていくでしょう。その結果、心身の健康にも良い影響がもたらされます。
習慣として形式的になっていたとしても、食前・食後の挨拶を心がけることは大切です。自然の恵みとすべての生命、多くの人々の働きに対する敬意と感謝の気持ちを深めて、つつしんで食事をいただく姿勢を大切にしたいものです。

今日の心がけ◆食事の挨拶に敬意を込めましょう

「多くの人々の働きによって食事ができる」 当たり前だろ。その「働き」に対して、お前らの会社は正当な対価を払ってんのか? 生産者や流通業者を買い叩いたりしてないだろうな? 労働者からの搾取してないよな。「感謝の気持ち」なんていう耳触りのいい言葉で誤魔化してんじゃねえよ。

感想例
食事の挨拶に込められた意味を改めて知り、はっとさせられました。普段、何気なく口にしている「いただきます」という言葉の裏には、食材の命だけでなく、それを作ったり運んだりしてくれた多くの人々の働きがあるのだと気づきました。これは私たちの仕事にも通じることだと思います。自分の仕事も、決して一人で完結するものではなく、部署内外の多くの人に支えられて成り立っています。関わってくださる方々への感謝の気持ちを忘れずに、一つ一つの業務に丁寧に取り組んでいきたいと思います。

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1 個のコメント

  • エセ倫理での食事の挨拶

    倫理を学ぶものは猛毒を売ってはいけない。

    倫理を学ぶものは猛毒を食べてはいけない。

    食事のたびに聞かされて気分が悪くなる挨拶でした。私と仲の良かった下っ端会員=退会も、気分が悪いと言っていめした。

    このような場をぶち壊すような挨拶にはどんな敬意が込められているのか。

    当時、飲食業もしていた私に、自分が販売している健康食品を大量に仕入れろという敬意か込められているのがわかりました。

    ちなみにモーニングセミナーの会場ホテルも会員ですよ。幽霊ですが。

    このホテルが猛毒を販売しているのに倫理指導はしない。

    つまり、エセ倫理の倫理指導とは弱いもの虐めです。

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