中学校の社会科の教師となって10年以上になるF氏は、教職課程で学んだ歴史学を専門とする教授の言葉を、これまで教育実践の指針としてきました。
教授は毎回講義の終盤になると、「教育とは、高い価値を提示することである」ということを語り、高い価値と向き合って生きる人間を育成することの大切さを力説していました。
教授が言う「高い価値」とは、真理、正義、最高の善、最高の愛など、すぐには答えの出ない、より高いもののことです。教授は、「人間は高い価値と向き合うことで本来の人間となっていくのです」と述べて講義を締めくくります。
F氏は近年、教授の言葉を振り返りつつ、様々な知識を学ぶことの大切さ共に、高い価値と言われるものにしっくり向き合うことで人間の中心軸が作られると考えるようになりました。
高い価値とじっくり向き合いながら、社会で働いて生きていく人間を育みつつあり、ひとりでも多く育てていこうとF氏は決意しています。
今日の心がけ◆深い問いとじっくり向き合いましょう
ちょ待てよ。その高い価値って誰が決めるんだよ。
会社で言う「高い価値」って経営方針とかか? で、不満があれば「より高い価値のための試練」って事で片付ける気だろ? 違うか?
感想例
日々の業務に追われていると、どうしても目の前の作業をこなすことばかりに意識が向いてしまいます。ですが、今日の話を読んで、私達はなぜこの仕事をしているのか、社会にどう貢献できるのか、といった根本的な問いと向き合う時間も大切なのかもしれないと思いました。すぐに答えは出ないかもしれませんが、そうした少し高い視点を持つことで、日々の仕事にもより深い意味を見いだせるような気がします。広い視野を忘れずに仕事に取り組みたいと思います。
2+
高い価値(真理、正義、最高の善、最高の愛)とは、人によって違うんですね。例えば、宗教によって真理は異なるし、戦争している国ごと正義は異なります。確かに人間は、目の前に高い価値(領土とか金)を並べられると本来の人間になっていきます。しかし、そんな損得で生きるだけの人生ではなく、より良い(のんびりと楽しく生きることも大切)人生を送るために自分自身をどうコントロールするのかを学ばなくてはいけません。
会社の経営方針を価値が高いというのであれば、可愛らしいものです。
しかし、今日の内容はエセ倫理が価値が高いと言いたそうですね。
「人間は高い価値と向き合うことで本来の人間となっていく」のでしょう。
だけど、エセ倫理と向き合うことで人間はダメになっていきますよ。
信者たちは本性をむき出しにして、ありがたい言葉で人を騙したり、倫理指導という名のもとに虐めたり…
活力朝礼が気に入らない社員をクビにするのも正しいと…法律違反も正当化。
これが価値の高い教育ですが?
また、この職場の教養を読まされる社員たちは、毎朝が嫌になったり…
一般的な人間は、少し性格的に問題があってもエセ倫理と向き合うことで、人間がダメになっていきます。
エセ倫理は高い価値ですか?この職場の教養は高い価値ですか?
このような三流の下手な洗脳は辞めませんか?まずは信者たちの行動を見直さないと洗脳できませんよ。
目下の者をバカにしているにもほどがあります。
>「高い価値」とは、真理、正義、最高の善、最高の愛など、すぐには答えの出ない、より高いもののことです。
一見それなりに説得力がありそうですが、こう主語がでかいとそのすべてが、立場や考え方、状況が違えばどうとでも答えが変わる薄っぺらいものになる訳ですが、それについてはどうお考えなんでしょうか…… あぁ、そちらの方が都合が良いんでしたねぇ。
屁理屈こねて、詭弁を弄する暇があるなら、その前にやるべきことがあるでしょうに。
職場の強要の信者様方は先ずはこの問いに、じっくり向き合ってみると言うのは如何でしょうか。
今日の心がけ◆ この駄文の作者は、ご自身の
深い闇とじっくり向き合いましょう
今日の心がけ"深い問いとじっくり向き合いましょう"って謳いながら「高い価値」を真理や正義なんて個人の人生観に左右される抽象的なものに委ねてるの浅ましくて草
朝からこんな難しい文章読まされて午後眠くなりました!生産性落としてくれてスーパーサンキューです!