今年は阪神・淡路大震災から30年の節目を迎え、能登半島地震から1年半が経過しました。いずれも年始1月の災害として記憶している人も多いでしょう。
近年では、全国で大小の地震が頻発し、異常気象とも言える局地的な大雨や大雪の災害も増加傾向にあり、生活に影響を及ぼしています。
内閣府の「防災に関する世論調査」によると、対応を家族と話し合っているが約6割、備蓄など物の備えをしているは約5割、避難場所など行動の備えにおいては3割強の人が実施しているという結果が出ています。
防災には「自助」「共助」「公助」があります。「自助」は有事の際だけではなく、事前に物や行動の備えを整え、定期的に確認を行う。「共助」は大変な時だけ求めるのではなく、日頃から良い関係を築くことも大切です。
自然災害の予知は、現在の科学技術でも、その正確性は不透明と言われています。そのため、公助の整備も求められますが、日頃から有事のことを考え、共助の精神と自助の意識をもって行動していきたいものです。
今日の心がけ◆日頃からできる備えをしましょう
「大変な時に助け合うためには、日頃から良い関係を築くことが大切」という一文。これを“職場”の朝礼で読ませる時点で、それはもはや防災の話ではありません。防災という否定しづらい話題を隠れ蓑にして、「共助」という美名のもと、従業員同士の無償の奉仕や同調圧力を強化し、経営側にとって都合の良い職場環境を作り上げようとしています。市民間での自発的な助け合いである「共助」の精神を、企業の利益のために歪曲して利用する、極めて悪質なすり替えです。
カルト怖い。
感想例
災害への備えについて、改めて考えさせられました。特に「自助」という考え方は、仕事においても重要ではないかと感じました。予期せぬトラブルが発生した際に慌てないよう、普段から業務の手順書を確認したり、緊急時の連絡先を整理したりする、といった自分自身でできる備えを怠らないようにしたいです。また、「共助」の精神も大切だと思いますので、日頃から周囲の方々と円滑な意思疎通を図り、いざという時にチームとして支え合える関係性を築いていけるよう、心がけてみたいと思います。
具体性がかなり欠ける誰もが考えていること。それが「職場の教養」だ。
共助の精神と自助の意識をもって行動って、どう言う行動なの?やってみて。
公助について全く説明無いですねぇ。
一寸調べてみたところ、公助とは市役所や消防、警察、自衛隊など、公的機関による救助や支援のことだそうです。
会社で言えば、自助は自分で、共助は同僚と、公助は会社が、と言った所ですか。
あれれぇ~~? おっかしいぞぉ~?
だって公助の説明が無いってことは、何かあっても自分たちで何とかしろと言う事でしょ? つまり会社からは何もする気が無いって事? それっておかしくなぁい?
······普通に調べたら上記のように、公助は公的機関による救助や支援のことと出ますが、これは職場の教養。
つまり、職場の話。
公助=会社による支援
と、ならない様にミスリードを狙う姑息なお話でしたとさ。
エセ倫理の助け合うというのは、お互いに助け合うのではありませんよ。自分が困った時だけです。特に目下の者が相手の場合は一方通行です。
拒否すれば倫理指導。目下の者が助けを求めた場合も倫理指導です。
逆に信者を助けても地獄です。困った状態から抜け出した際は、以前よりも酷い倫理指導を受けますよ。
エセ倫理が悪質な点は絶対的上下関係の服従を原則にしていうにも関わらずに、偉人の話、感謝の話などを持ち出して、すり替えようとしている点です。はっきりと、信者は神、お前らは奴隷と言った方がマシですよ。
ただエセ倫理で洗脳して、経営側の都合のよい職場環境を作っても、エセ倫理にハマっている限りは会社の利益にはつながりにくいです。利益につなげられる人は、自分で強制的な環境を作るなどします。
定期的に出ます「防災関連」の話題。
今年は1月のなんちゃらデーに始まり、3月の東日本大震災、5月にはローリングストックのお話。
1~2ヶ月に1回はやらないと気が済まないらしい。
防災意識を高めさせ、実際に災害にあった時に「倫理法人会様の職場の教養のおかげ」で助かったと言わせたいがための、ありがたーいお話です。
恥ずかしい人たちだな。
倫理を名乗りながら恥ずかしい行動を平気でする団体や信者たちよりはマシですが。
職場の教養と言う名のアホ臭い内容の本を
朝の大切な時間に読まさせて感想いわす
アホみたいに大声での挨拶
キチガイ朝礼
見てて恥ずかしい
と言うか関わりたくないですよねぇ
文全体が「ですます」の敬体の中に
突然差し込まれる「だ、である」の常体。
違和感しかない。
この協会には校正者はいないのかな??