食卓にカレーライスが出ると、A氏は叔父のことを思い出します。 叔父の影響でA氏は高校まで10年以上、野球に打ち込んでいました。高校2年生のある時、叔父の知人で社会人野球で活躍中のB氏と会った際、野球の魅力を聞かされ、最後には、B氏が使用していたグローブをプレゼントされました。 高校生のA氏にとって、それは忘れられない思い出となりました。叔父からは「お礼を伝えるように」と言われましたが、A氏は練習に熱中するあまり、叔父との約束を忘れてしまいました。 1ヶ月が過ぎた頃、叔父から「何か忘れていないか」と呼び出され、A氏は礼を欠いた点を厳しく注意を受けました。 悔しさと申し訳なさで涙が溢れたA氏に、叔父は「その涙、大人になっても忘れるなよ」と言い、涙と共に食べたカレーライスは思い出の味となったのです。 50代になったA氏はカレーライスを前にする度に、〈職場や家庭で、信じる気持ちで誰にでも寄り添っていきたい〉と、感謝の念が沸いてくるといいます。
今日の心がけ◆感謝の気持ちを大切にしましょう
この文章の一見美しい話の様に感じますが、本質は違いますよ。
「会社や上司の恩情に感謝し、不平不満を抱かずに従順であれ」という無言の圧力をかけ、それを組織への忠誠心や、理不尽な状況への忍耐を強いるための道具として利用しようとする意図があるように感じます。個人の内面的な感情を巧みに利用して、経営側に都合の良い従順な人材を育成しようとするための一種の洗脳ではないかと疑ってしまいます。
カルト怖い。
感想例
私も、日々の業務の中で、誰かに助けてもらったり、教えてもらったりすることがたくさんあります。その時は「ありがとうございます」と言葉にはするのですが、後になって、あの時もっとしっかり感謝の気持ちを伝えられただろうか、と反省することがあります。A氏が50代になってもその時の気持ちを忘れずに感謝の念が沸いてくるように、私も一つ一つの出来事や人との関わりの中で感じた感謝の気持ちを、もっと大切に心に留めておきたいなと思いました。そして、できる限り、その気持ちを相手に伝えていけるように努力したいです。
筆者は、真面目に、自分が作った話を若者が聞いて何て思うのか?そこまで気を遣って文章を作るべきです。さて、100人の若者がこの文章を読んで、何人が感謝の気持ちを大切にしようと本気で思うでしょう。
感謝とは「感じたことを言葉で射る」ということですが、エセ倫理はどういう意味で感謝という言葉を連発しているのでしょうか?
「活力朝礼を辞めろ」というのも感じたことを言葉で射ていると思いますし、「普及活動のFAXが1日3回も迷惑」というのも同じですよ。
エセ倫理や信者は、こういう気持ちを大切にしますか?大激怒するでしょうが。そして、目下の者がしてくれたことに感謝しますか?感謝どころか次から次へと要求して、食いものにしようとするでしょうが。
エセ倫理の感謝とは、倫友価格の安い給料をもらっていることに感謝して、「犬になりなさい」ということです。某福祉系信者は社員が「犬になります」と言ったことを会員スピーチで喜んで自慢していましたよ。これを見習いなさいということでしょうが。
感謝のような有難い言葉を使って、人を騙すのがエセ倫理の手法です。しかし、エセ倫理を非難するとすぐにキレて、本性を現しますので、上手くいきません。
話がおかしい。B氏に会って話聞いて最後にグローブもらったなら、その時お礼言うでしょ。仮に忘れてたとして、申し訳なさはいいが、悔しさと涙が理解できない。