Sさんは、出勤前の早朝ウォーキングを日課としています。
ひと月ほど前のある朝を境に、それまでは気づかなかった道端のゴミが目に付くようになりました。そして「どうしてこんな所にゴミを捨てるんだろう」とゴミを捨てた人への責める気持ちが生じてきたのです。
しかし、「誰かを責めても仕方がない。気づいた自分が拾えばいい」と決心し、ウォーキングと並行してゴミ拾いを始めました。
日課のコースを歩き終えると、持参したビニール袋が一杯になり、「なぜこんなにたくさんのゴミを捨てるんだ」と腹が立った一方で、すっかりきれいになった道や公園を眺めて、清々しさも感じたのです。
その後、Sさんの責める気持ちは日に日に薄れ、ウォーキングを始めた当初よりも、ゴミ拾いを行うようになった最近の方が、心が晴れやかになっています。
「ゴミを拾うことは、街をきれいにするばかりか、自分の心の浄化にもなったのだ」と心の底から思うSさんでした。
今日の心がけ◆気づいたら行動しましょう
人の善意に頼って事がうまく行っている状態ってどうなんですかね。根本問題の解決にならないままうやむやに誰かの仕事が増えて終わりですよね。会社でよく見る光景です。
ゴミをほ捨てる人の意識に問題があるのではないか。ゴミ箱が不足しているのではないか。ルールや罰則が欠如しているからではないか。等から解決策を考えて行くってのが大事なんじゃないですかね。
感想例
私も毎日ウォーキングをする中で、ゴミを拾うことで街がきれいになるだけでなく、自分自身の心も軽くなっていく気がします。日々の生活の中で、つい他人を責めてしまうことがありますが、そうではなく自分ができることを行動に移すことで、もっと前向きな気持ちで日々を過ごせるのではないかと思います。これからも、小さなことからでも行動に移していきたいと思います。
管理人さんの言うとおりです。物事の考え方の順序が間違っている。今更何を言っても無駄でしょうけどね。今日の心がけだけど、「ウォーキングを始めたけど、気づいたらゴミ拾いが趣味になっていた。」で良いんじゃない?
やりがい搾取の奨励にしかなってないお話。
倫理法人会では、人の善意につけこんで自分自身の欲望を満たすことを推奨しています。根本問題の解決なんかどうでもいいんです。奴隷会員や社畜の負担を増やすだけですから。信者から自分のためにならなくても、人のためになると洗脳のように何度も指導されました。信者のために自分が犠牲になることが素晴らしいと言うことなのでしょう。
日本は昔は街中にゴミがポイ捨てされ河川が汚く企業も汚水を垂れ流し公害問題も多く有りましたね
個人レベルでしかもボランティアでゴミ拾いしたから良くなったんじゃないでしょ
法律を作り罰則を設けて時には裁判もして強制力を行使して良くなってきたのです
ゴミ拾いはその場では一時的に綺麗になっても根本原因は放ったらかしで同じ問題が繰り返されるだけなんですよ
ここではSさんとなってますけどどうせ作り話で筆者の思考そのものでしょう
筆者は何も効果が無い事をして世間の為にボランティアでゴミ拾いしてる自分は素晴らしい人間だと自画自賛してるだけなんですよ