土砂降り、小雨、にわか雨、通り雨、夕立、霧雨など、雨降りの表現は多様です。それだけ私たちが雨への関心が高いことの表われでしょう。
私たちは日常的に飲み水や炊事、洗濯などで多くの生活用水を使っています。他にも、工業用水や農業用水などの様々な用途で水が使われています。
これらの水は、空から降った雨や雪から得ています。降水量の総量を体積で表わすと、一年間で約六六〇〇億立方メートルで、これは琵琶湖の水の約二四倍もの量となります。
しかし、日本の地形は急峻で河川が短く、さらに梅雨や台風の時期に雨が集中して降るため、私たちが使用できる水は、降水量の約一割に過ぎません。
雨が降ると仕事に支障が出るという人がいるかもしれませんが、もしも雨が降らなかったら、水不足となり、日常生活や農業などにも影響します。
あらゆる生命の源であり、私たちの生活に欠かすことのできない水をもたらす雨を、「天与の恵み」として受けとめていきたいものです。
今日の心がけ◆雨の恵みに感謝しましよう
昨日も雨の話で今日も雨の話。この糞本の著者は読者がどんだけ雨を嫌ってると思ってるんですかね。
昨日の書きましたが著者が一番雨を嫌ってますよね。
感想例
「雨降って地固まる」とはよく言ったものです。今回の文章を読んで、普段何気なく使っている水が、実は天からの貴重な贈り物であると気づかされました。私自身、雨が降ると億劫に感じてしまうこともありました。私たちも、恵みの雨のように、周囲に潤いを与える存在になれるよう、日々精進していきたいものです。
5+
色々な表現があったとしても、我々が雨に関心があることとは関係ないでしょう。時々、水に関する内容で、最終的に「感謝しましょう」にまとめるワンパターンな文章には飽き飽きしています。感想なんてありません。
「もしも雨が降らなかったら」みたいな、ありえない極端な例を出すのって洗脳の手口だよ
雨が生活に必要だろうと、仕事に支障がでるのは厳然とした事実でしょ
自分がかつて学校で働いていた時、外で働く職人さんの家庭は梅雨時には校納金が遅れがちだった
天与の恵みではオマンマは食えないのよ
雨が降らねば生きていけないというのはもっともなことですが、
降雨により洪水や斜面崩壊、土石流などの災害が起こりうることをあえて述べずに
能天気に感謝しているところに危うさを感じました。
恵みをもたらし、感謝の対象となる「天」とは何なのでしょうか?
倫理法人会は宗教ではないと言っていますが、そうすると「天」が何を指しているのかよく分からないです。
「上空に広がる空間とそこでの大気状態の変化」だとしても、感謝してしまうと「自然崇拝」という宗教になってしまいます。