真剣に悩めば悩むほど、どうすればよいのかわからなくなる時があります。
京都・大徳寺の再建に尽力した室町時代の禅師・一休宗純は、「寺がつぶれるような一大事が生じたら、この箱を開けるように」と言い遺し、世を去りました。
長い歳月の後、寺の存続にかかわる事態が生じ、弟子たちは箱を開けました。中には「なるようになる。心配するな」と記された紙一枚があったといいます。
物事は過去の様々な要素が集積されて現われた結果であり、未来のことは誰にもわかりません。先のことを心配しても仕様がないのです。しかし、「しょうがない」と、諦めるだけでは物事は前に進みません。
明るい挨拶や整理整頓、人間関係の改善や仕事の見直しなど、先のことを心配し過ぎず、まずは目の前のことに一つひとつ丁寧に取り組んでいきましょう。
気持ちを今に切り替え、皆で知恵を出し合い、やりたいことと、なすべきことを明確にしていくのです。
それぞれが進んで行なうところに、事態は自ずと好転していく道があるのです。
今日の心がけ◆今できることを探し取り組んでみましよう
これぞ宗教
1+
筆者はついに頭がおかしくなったんじゃない?
文章が支離滅裂すぎる。
先のことを心配しすぎるな…とか、未来のことは誰にもわからない…とか言っているけれど、寺の存続に関わる事態が(今、現実に)起こっているのです。何を寝ぼけたことを言っているのでしょう。
明るい挨拶や整理整頓、人間関係の改善や仕事の見直しなどしていれば、寺の存続に関わる事態が起こっても心配しなくて済むんですか?
「なるようになる。心配するな」???
それが教養ですか?
私なら『ざまみろ。何事にも疑問を持たず、ただ信じているだけの結果がこれだ。大いに反省して一生悩み抜け!』と書いておきます。
「気持ちを今に切り替え、皆で知恵を出し合い、やりたいことと、なすべきことを明確にしていくのです。それぞれが進んで行なうところに、事態は自ずと好転していく道があるのです。」←はい、支離滅裂決定!
「今できることを探し取り組んでみましよう」←言葉にすると恥ずかしいが、誰もが言われなくても取り組んでいることです。
一休さんね
子供の頃アニメで見たけど言葉遊びでごまかしてるだけで何の解決にもなっていない
有名なところでは、橋に「このはし渡るべからず」と立て看板があったら、橋の端を歩いて「端を歩いてない」という屁理屈
子供だったから楽しく見てたけど、大人になって大人から言葉遊びで言われたら、そんなバカとは関わりたくありませんね
先の事を心配するなって、先の事を考えてなかったから日本がこうなったんでしょ
「喜働」なんて言っていても、宗教の信者が洗脳されて幸せだと思い込んでるのと同じだ
明るい挨拶や整理整頓やっても悪い状況は好転しないし逆に悪くなる可能性すらある
世の中には挨拶したくない人も必ず存在して挨拶してもウザがられる
今は道行く子供に挨拶したら不審者として通報されることもある
家が少しくらい散らかっていても実害は無いし寧ろその方が心地良いと思う人も多い
問題が有るとすればお客が来た時に恥ずかしいと思うくらいだがお客が来ないなら問題無い
1.人間関係の改善は、昔語りばかりやって精神論ばかりで具体的な行動を示さない老害とは縁を切る必要が有る
精神論ばかり言ってる老害は、行動しなければならない時にでも精神論で相手を言い包めようとするので邪魔にしかならない
2.仕事の見直しは、日本は中小零細企業が多く国全体の効率が悪すぎるので、必要無い中小零細を統合して企業数を減らせば無駄な経営者や重役が減ってその分を従業員に回せる
企業規模が大きくなればそれだけ企業の体力も上がる
この二点は真剣に考えた方が良いでしょ
今を生きていない老害から何を言われようが心に響かない!!!
なので黙れ!!!
一休の遺文として「心配するな、なんとかなる」というものがあったという話も広く知られているが、原典は不明であり、一休に関する事象と断言できない。ある伝記作家が創作したという説もある。