Fさんは例年、家族揃って地元の花火大会に行くのが恒例となっています。そこで、花火の歴史を調べてみました。
花火の歴史には諳説ありますが、江戸時代より現代と同じような花火大会があったといわれています。
また、花火には「鎮魂」の意味が込められています。例えば、東京の隅田川花火大会の発端は、江戸時代に飢饉で亡くなった人々を弔うことでした。
お盆の最終日に行なう「送り火」と同じように、亡くなった人の魂を見送る目的を込めて八月中旬に花火大会を行なう地域が多いことも知りました。
花火の歴史を初めて知ったFさんは、先大たちの想いが現代まで受け継がれていることに感動しました。〈これからは、ただ思い出を作りに行くだけではなく、先祖への想いを深める場としよう〉と決意しました。
華やかに開かれる各地の花火大会には様々な歴史があり、その土地の人々の祈りが込められているのです。
今日の心がけ◆地域の歴史に想いを馳せましよう
明治時代には、”花火は思いで作り”で、”ナンパの道具”になっていたかもしれないですよ。明治時代の人の気持ちには思いを馳せなくても良いんですかね。最初の最初の人の思い以外は無視で良いんですかね。間の何百年間もの色々な人の思いはどうでも良いんですかね。
だからバカなんですよこの本は、意味なんて時代と共に変わっていくものでしょ。歴史の原点に思いを馳せるのは結構ですが文化が現代までの間どのように変化してきたかにも思いを馳せたらどうですかね。
スマホが壊れると悪いから地図を持っていけとか、メールだと失礼だから電話しろとかって話と同じですよ。バカかと。スマホ2個持てよ。
2+
諸説ある話はやめにしてほしい。
諸説あるのに先人が出てくるのおかしいし。
そもそも、花火大会を実行するには、まず資金集めです。
スポンサーを探し、金額に応じてチラシに大きな企業名を入れます。
頭いっぱい下げます。
また、打ち上げ許可を取るのも面倒です。
港とか警察とか行政とか、いろんなところへ伺いを出し、嫌味言われたりします。
関係者(地元の爺さん方)が集まって、定期的な会合も開きます。
「新型コロナ対策はどうなっている」って言われるわけです。
テキ屋の統率、見学者のゴミ問題、勝手にコンビニ等へ車駐める輩への注意喚起等、主催者側は大変なのです。
花火大会の歴史?先人?思いを馳せる?
「花火大会は俺がいなければ始まらない」…と、主催者側担当者は思うわけです。
Fさんは毎週、倫理法人会のモーニングセミナーに行くのが恒例となっていました。もちろん、付き合いで加入していたFさんは年内で退会する予定でした。しかし、大会前に前会長(本部任命の県会長)とのトラブルがあり、倫理法人会について問い合わせることにしました。
倫理法人会の批判には諳説ありますが、本部である倫理研究所に直接問い合わせるのが1番と判断。元会長とのトラブルについて、本部にメールを送りました。
担当したのはMという方面長でした。M方面長は、Fさんからはメール以外で事情を聞くことなく、スーパーバイザーと県会長に事実を確認するように指示をしたようです。県会長からFさんに伝えられた結論は「気に入らないと辞めろというのがM方面長の返事」ということでした。
しかし、Fさんと前会長のトラブルを知ったTさんが倫理法人会もカスばかりではないと思わせるような行動をしました。ここで、Fさんは捨てたものではないと判断してしまい退会を一時保留。
本部によると倫理法人会の役職というのは上下関係ではありませんが、実態は上下関係です。ですから、元会長が下っ端会員との間で起こしたトラブルは、元会長の有利に働くのは当たり前です。これが正しい倫理です。
Tさんとの付き合いで退会を保留してしまったFさんは大失敗をしたと判断。しかし、Tさんがモーニングセミナーに参加しなくなった。もう退会の時だと判断しました。
Fさんは、倫理指導を真剣に受け入れない精神状態がおかしい会員だったので、再び本部にメールで問い合わせ。今度のメールを受け取ったW方面長は、出張のついでにFさんと面会して事実を確認することにしました。M方面長と違い、うわべでも一定の誠意は感じられる。
W方面長の判断は、この県の倫理法人会のメンバーは役職を権力と勘違いしているとの結論。これはスーパーバイザーのM本が悪いと判断。M本を注意しますと。
しかし、他の信者会員によると、W方面長が県の問題がスーパーバイザーの責任という判断を下したことに対して理解できないとのこと。自分独自の役職と責任論を述べていました。
スーパーバイザーや県会長は本部が任命するのです。その責任については、信者会員が独自に決めるものではなく、本部が決めることだと思います。しかし、疑問と本部の判断を否定するような発言。それならば本部のW方面長宛に問い合わせればいいと思うが、本部の前では猫を被っているので問い合わせできない。
また1日3回も送付されてくる普及活動のFAXについても、W方面長は問題視。普及をさせている本部でも度が過ぎすぎているとの判断。しかし、他の信者会員はメールなどの方法に変えればいいと。メールだろうがSNSだろうが迷惑なものは迷惑。そんなことも理解できない。さらに普及は倫理の学びと。つまり、倫理の教えとは他人を洗脳するために使うものですね。
一部の会員のために金銭を集めるFAXを2度も流した行為もW方面長は問題視。しかし、信者会員は本部から注意があるということはしてはいけないことだったのでしょうと。本部から注意がなくても、してはいけないということがわからない。
W方面長が問題と判断して、注意されたことに対して、M本スーパーバイザーはFさんを睨みつける。他の信者会員も本部が問題と判断したことでも疑問と自分たちの非を認めない。
もちろん、本部の判断に疑問というのは、本部に逆らうのではない。下っ端会員の話に耳を傾けたことが疑問なのでしょう。
W方面長にはある程度の誠意は感じられるが‥‥結局は倫理研究所の本部も単なる飾りにしか過ぎない。それを理解しているのであればM方面長の判断は正しい。
このように各地の倫理法人会は、独自の倫理観を持ち、その考えは倫理研究所本部の判断よりも重要なようです。
今日の心がけ◆倫理法人会では、本部が問題と判断したことでも単会の信者会員は独自の倫理観を展開して非を認めません。単会の倫理法人会の実態はその県の倫理法人会を運営しているスーパーバイザーや県会長の宗教団体というところでしょう。上記の事例でしたらM本教。倫理研究所本部の倫理観よりもM本教の倫理観。これを前提に拷問朝礼は○○教の教えかも?と考えてみましょう。〇〇教祖が自分の会社で何かをはじめると、信者会員はマネしますよ。
この花火の話が、”職場の”教養?
職場と何か関係があるんですか?
また馳せてるよ。この間も馳せてなかったか?