人間性を向上させるには、恩の意識を深めることが大切です。感謝の気持ちを形にすることで、他者への共感力や敬意が高まっていくものです。
「人や物に感謝することは大切だ」と考えている人は、多いでしょう。そこで、一歩踏み込んで、自分を取り巻く環境の受けとめ方について考えてみましょう。
例えば、過去を振り返った時、いい思い出ならともかく、辛い経験は二度としたくない、早く忘れたいと思うものです。
その辛い経験に対して、〈あの経験が私を育ててくれた〉と受けとめてみましょう。すると、人に対する責め心がなくなり、爽やかな気持ちになるはずです。
「過去も現在も、未来の自分にとってベスト」と受けとめるのです。そうした受けとめ方を続けていくことで、自己の確かな方向性を見いだすことができるようになるはずです。
新たな自分を創造するために、恩意識を深めて、人間性を向上させ、世のため人のためとなる生き方をしていきましょう。
今日の心がけ◆過去の捉え方を変えましょう
著者は、あの先輩から嫌な事を言われたとか、経営者から理不尽な事を言われた等という経験も自分が成長するための試練だったと考え、それを恩ととらえ、あまつさえ感謝までするするという境地に達せよと、仰っております。
この経典(糞本)によれば、人生とMの世界は紙一重なのかもしれません。Sは究極のMであり、Mの成れの果てだと知人が言っていましたが、そういう先輩や経営者もMの成れの果てなんでしょうかね。多分違うと思いますがw
4+
こういう人達は悪習は自分達の世代で終わらせようって意志が薄いから、青年の世代にして早くも老害的な発想に洗脳されてるんだよな。
どの宗教もそうなんだけど、青年層が活動の中心核を担ってるから、60代老害がメイン層とは限らないんよね。
感想
昨日、私は桁を二つ間違える発注ミスをしたため100万円近い余分な経費が発生しました。
今回の「職場の教養」を読み、発注ミスの辛い経験は私を育ててくれたと受け止めようと思いました。
すると、人に対する責め心はなくなり、爽やかな気持ちになりました。
辛い経験があっても、こうした受け止め方を続けていくことで、自己の確かな方向性を見出すことができるように感じます。
新たな自分を創造するために、過去の捉え方を変え、昨日のミスはキレイさっぱり忘れようと思います。
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二桁の間違い発注と、費用額、きれいさっぱり忘れ去られていたことは事実です。
実際にわかったのは年度末の経費の詳細検証でです。
本人としては「過去も現在も、未来の自分にとってベスト」と受けとめたのだと思います。
ダメ社員(信者)にとっては、倫理法人会の考え方は非常に便利ですね。
とにかく何にでも感謝ですね。
こじつけでしょ。
嫌なものは嫌でしょ。
無理矢理捻じ曲げて爽やか?
病まないですか?
私は、私にパワハラした人が嫌いですし、二度と会いたくないですし、もし会ったら絶対に無視します。
良いように考えてみても爽やかには絶対ならない。思い出しても、ただ胸糞悪いだけです。
もう既に病んでるから鏡に笑顔を創ったり、靴に話しかけたり、この苦しみには何か意味があると思い込もうとして、感謝したりしてるんですよ。
彼等はおかしいものはおかしいとハッキリ言えない臆病者で、よりストレスの無い職場に改善していくことも出来ない愚か者なんです。
周りからの承認願望が強すぎて喧嘩や対立を生むのが苦手なんですよね。ホントに可哀想。
だから魂の救済を求めて、週末宗教の集会所へ行って活動朝礼なる儀式を行い、お互いを慰めあっているのです。
信者からカンパした金で刷ってる本の中身は、強欲な経営者に媚びるものばかりですけども、実際全部できてる信者なんていないので、だから決意や決心の言葉が濁っているのです。
環境の受け止め方について考えてみましょう
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嫌です!
以上
世のため人のためになる生き方をしていきましょう?
お前等糞信者共はそんな生き方しているのか?
毎日毎日心がけを忘れて何度も何度も同じような内容をその都度ハッとさせられて記憶力も無いような老害共が!!
だから、こいつらは何でも感謝に繋げようとするが、過去の辛い経験が身内の死でも同じ事が言えるのか?
要するに色んな状況がある訳で、その様な考えには絶対的になり得ない事もあるだろ。
辛いものは辛いものとして、誤魔化したり良いように考えたりせず、受け止める事の方が必要だろ。
変な考え、間違った考えを押し付けるな。
教えてあげている、導いてあげている
という上から目線の自意識が溢れ出ている内容ですね。
会ったこともない相手に人間性を高めよと説く人間の人間性の判断基準はなんなんだろうか?
結局自分にとって都合の良い人間が、著者にとっての人間性の高い人間という認識なんだろう
このサイトのトップに書かれている通り、視野を狭め、思考を停止させることを目的としているとしか思えない
「恩の意識を深める」って、またテッキトウな言葉作っちゃったね、おじいちゃん。
感謝の気持ちを形にすると言えば、お礼に菓子折り持参するくらいでしょうか。
それで、他者への共感力(?)が高まるって何?
長い人生を歩んできた人は辛い経験が多いでしょう。
それらが自分自身を育ててくれたなんて考えづらい。
本来、トラウマになってもおかしくないことも多いでしょう。
震災で家族を亡くした人に向かって、「あの経験が自分自身を育ててくれた思いましょう」「爽やかな気持ちになります」なんて言えますか?
過去の辛い経験を、自分自身に都合の良い受け止め方をしようとしても、できないのが普通の人間です。
無理矢理、過去の認識を変えたとしても、死ぬまでにきっと大きな後悔として返ってくるはずです。