人生において大切な振る舞いの一つに、「人から受けた恩を忘れない」ことが挙げられます。「恩」とは、両親や学校で教わったからわかる、というものでもなく、自分自身で恩を感じることが肝要です。
人生を一人では、送ることはできません。その時々に受けた恩を忘れることなく、〈いつかは恩返しをする〉という生き方こそ重要なのでしょう。
一方で、受けた恩に関係なく、まったく別の人に無償の恩を送るという「恩送り」という考え方、振る舞いがあるのを知っているでしょうか。
自分が両親や知人から受けた恩をほかの誰かに送り、その恩がまた別の誰かに送られていくというものです。職場や家庭においても、このように恩があふれていれば、より良い人間関係が築かれていくはずです。
「情けは人の為ならず」という諺は、「人に情けをかけておけば、巡り巡って自分のためになる」という意味です。もし、周囲に困っている人がいたならば、慈しみの心を持って接し、そこに喜びを感じられる自分でありたいものです。
今日の心がけ◆慈しみを持って人に接しましよう
著者は同じ人でしょうか。今回はインターバルが短いですね。ネタに困ったのでしょうか。
前から思うんですが、完全に損得無しで他人に慈しみの心をもって接する事って可能なんですかね。相手の反応で優越感に浸るという見返りを得るためにやってないですかね。
英霊の方のおかげで今の我々がいる事は重々承知の上で純粋に抱いた私の疑問ですが、例えば祖国のために特攻で戦死したとしても完全に慈悲の心なんですかね。どこかに名誉みたいな見返りを求める心ってあるんじゃないですかね。子供に対する母親の様な子孫繁栄の本能の慈しみって他にありますかね。
4+
宗教やってる身としては、慈悲の心というのがこの世に実在するのは確かなんですが。
よほど霊的に立派な方でも無い限り慈悲業は全うできません。
倫理法人会の人等ですら出来てないので説得力はありませんね。
私はあまり職場の教養の内容に慈悲は感じません。
それどころかいつもああしてほしいこうしてほしいと、社員に慈悲を求める困った人達だなぁと感じてますので。
恩着せがましい話ですね。
見返り無く喜んで恩を送れとか、相変わらず宗教感全開ですね。
じゃあ、カネくれ。
クンニした後はフェラしてくれって話ですかね。
えーっと、慈しみを持って会社関係の人に接した人って居るんですかねww
マリア様レベルの高尚な話しすぎて、感想すら思い浮かびません。
私は受けた恩だけを大切にするだけ。
明日は僕の感想の番です。
さて、なんて言うかな・・・
前回の「恩送り」内容をそのまま話せば感想になります。
みなさん、既に忘れているはずだから。
情けは人の為ならずについてですが、
まず情けというのは興味関心のことで、
巡り巡って自分のためになるとは、ある程度解決法や乗り越え方を考えておけば自分が同じ目にあった時助かるとかそういう意味です。
もともと仏教的な言葉で仏教は学びや智慧で悩乱から脱することを旨としてますからね。
慈悲に喜びを感じようとかそんな話ではないですし、解決法が見つかればの話なので偽善的なだけでは意味がありません。
他人の離婚問題に関心を持って自分は離婚しないようにする。いじめ自殺問題に関心を持って我が子がいじめられても絶対に自殺させないようにする。
ここまでできて意味があることです。
正直倫理法人会はそのことがわかって説いてるとは思えませんね。
失敗談をもとにした話をよくしてますが、読者からすれば意味不明だったり、そんな洗脳や思い込みは無理とか拒絶されてるレベルなので。
慈悲があったとしても自己満でしかないでしょうね。
ほんとにこのゴミ宗教なんとかなりませんかね
私は活力朝礼が嫌なために会社に行くのが嫌になりました
もうじき退職します
素晴らしいです。
活力朝礼なんてキチガイ見れた分ネタになりますね。
お疲れ様でした。
じゃあなぜ教団はお布施を取るのでしょう。無償の恩としてタダでやるべきでは?
「ペイ・フォワード」と言う映画を思い出しました。
頭の良い子供が、人から得た恩を別の人に繋げれば世界は幸せになると言う内容だったと思います。
最後、主人公は死んでしまうけど。
我々は普通に親の恩は子供に繋げます。
だから、いちいち「恩送り」なんて大袈裟に騒ぐ必要はないのです。
普通にやっていることだから。
逆に、悪いことに使えばネズミ公になってしまいます。知らんけど。
基本的に倫理法人会が言いたいのは、「我々に感謝しなさい」と言いたいのだろうと思います。
しかし、現実的には活力朝礼に出ている非信者に感謝すべきです。
鶴の恩返しって、最後、悲しい結果になるんじゃなかったっけ?