失敗をしてしまった時、その失敗から学び取ることは多いものです。
Iさんは大学を卒業後に就職し、配属先での仕事がスタートしました。右も左もわからないIさんに、上司や先輩が仕事を教えてくれます。〈早く一人前になろう〉と努力を重ねていましたが、ある日、思わぬミスをしてしまいました。
納期を間違っていたため、その後処理に手間取り、周囲を振り回してしまったのです。大事には至らなかったものの、上司から叱責され、関係各所に先輩と一緒にお詫びに回りました。
後に上司から「君は話を最後まで聞かないクセがある。〈○○だろう〉との思い込みで業務に取り組んでいないかい」と指摘されたのです。
自分の未熟さと甘さを反省したIさん。数年経過した現在も、新人時代に指摘された上司の言葉を胸に刻んで、業務に取り組んでいます。
失敗やミスは誰にでも起こりうるものです。ちょっとしたミスも、うやむやにせず、しっかり処理し、教訓にしていきたいものです。
今日の心がけ◆失敗から謙虚に学びましよう
思い込みだとどうやって気が付けるかですよ。
今の自分が何かのシュミュレーター上の存在で意識すら思い込みで、自分と主要人物以外はただのMOBキャラかもしれない世界を否定出来る根拠が無いのに、どうやって思い込みを捨てる事が出来るのかですよ。
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倫理法人会は、どうしてこうも言葉の使い方を間違えるのでしょうか?
「その失敗から学び取ることは多いものです。」なんて言うと、おバカな信者の感想は「私は多くの学びを得るために、積極的に多くの失敗をしたいと思います。」なんてことになりかねない。相手は信者です、言葉を選びなさい。
失敗から学ぶことはただ一つです。
おそらく失敗するだろう面倒なことは部下に命じると言うこと。
「失敗やミスは誰にでも起こりうるものです。ちょっとしたミスも、うやむやにせず、しっかり処理し、教訓にしていきたいものです。
今日の心がけ◆失敗から謙虚に学びましよう」
信者の感想「失敗は誰でもする。(意味わかんないけど)教訓にして謙虚に学べば「失敗」は許されると言うことがわかりました。」
上司や先輩が仕事を教えてあげたようだが、Iが最後まで話を聞かず思い込みで業務に取り組んでいるらしいことがわかっているなら、何故ちゃんと話の最後に確認してやらないのだ。
相手は新入社員だよ。
明らかに上司信者と先輩信者の怠慢だと思う。
Iではなく、上司信者と先輩信者が教訓にしろ。
管理人のいうことはごもっともで、仏教でいう悟りとは思い込みからの脱却そのものであり、
ただそれに簡単に気付けることは難しい。それこそ失敗でもしない限りは気づきにくいものである。
っていう過去のケース本人の思い込みのせいじゃなくて、上司が仕事の内容を教え切って無かったか、
前の日記とは真逆に部下の仕事の結果を見てなかったかの問題でもあるので、本人の問題じゃなく上司の問題かもしれない。
本当に人の話を最後まで聞かない人は、他人の話を遮る人とかなので、説明している中ですぐ気づく。
お前は思い込みのせいで勘違いによる失敗をしたんだ、なんてことは事後的にいくらでも言える話である。
なぜ勘違いをしていたかの原因が説明の仕方にあったのであればそれは教育者の責任でもある。
だからこそ教育責任を負っている立場の人間はそれを未然に防げるよう実際の作業が正しく進められているかの確認を挿んだ方が良い。
これじゃどうせ同じ失敗を繰り返すぞ。
指導下手すぎだろ。
関係先に新人連れ回して謝罪させるって、自社の評判落としてない?
人の話を最後まで聞かないって、そんなの自分の甘さでも未熟さでもなんでもないよな。
そんなの胸に刻んで数年やってたって、人から仕事内容の説明をされる機会がない限り意味ないわけだし。
むしろコミニュケーションの問題なら双方に行き違いがあったわけだし、失敗から謙虚に学ばなきゃいけないのはお互い様だよな?思い込みをすてるべきなのは上司のほうじゃね?
ということは自分の説明不足による失敗を部下に責任転嫁するような奴の言い分を鵜呑みにすることのほうがよっぽど未熟さや甘えだと思うわ。
というか倫理法人会のいうことを真に受けてるだけで未熟だし甘えがあると思うわ。