時代小説『あきない世傳 金と銀』に登場する、大阪の呉服商「五鈴屋」の女店主の幸が、江戸に出店し様々な困難に直面しても貫き通したものは、二代目店主の妻・富久に教えられた「買うての幸い、売っての幸せ」という思いでした。
「買うての幸い」とは、顧客が欲していたものを手に入れて、心から喜んでいる姿です。また「売っての幸せ」とは、販売した側か顧客の喜びを目の当たりにして、その喜びを共有している姿といえます。
この自他共に喜びあえる、満足できる姿こそが、事業商売を推し進めていく上で最も大事な心構えです。
相手を満足をさせて喜んでもらうには、あらゆる知恵を絞り出し、日々の取り組みに活かしていかなければなりません。
つい目先の利益にとらわれて、顧客の喜びや要望を後回しにしていないかどうか、改めて日々の仕事を振り返ってみましょう。併せて、仕事に限らず様々な人間関係においても、相手が喜ぶことを考える心を持ちたいものです。
今日の心がけ◆喜びを共有しましよう
確認ですけど、我々の直接の顧客は雇用者ですよね?
我々は雇用者に対し労働力を売っている訳ですから共に幸せじゃないといけませんね。その理念があれば労働基準法なんか無くても良いんですけどねー。
3+
職場の教養は読み手の幸せを考えて作られている内容とは思えません。
経営者に幸せな夢を見させたり、追いかけさせたりするような、ある種の麻薬的危険性を孕んだ幻想的哲学だなぁとは思いますが、リアリストには鼻で笑われるだけ。
我慢の限界の中で労働している人達からしたらいい迷惑なんです。
もっとそういう人達にまで響くような、説得力のある内容にしていきましょう?
管理者の感想にハッと(笑)しました。
被雇用者の一番の顧客は雇用者って言葉、これが全てを意味している気がします。
買い手(雇用者)の為に労働力のみならず、職場の教養を有難がってるフリをしたり、上をヨイショしたり、ある意味必要かもしれませんね。
売り手(被雇用者)にも賃金や休暇という幸せをしっかりと示して頂きたいものですね。
そうですね、管理者さんが言っていることを前提に感想を語ったら職場に「革命」が起きます。
私は感想を言うことができませんが、感想当番だったら言います。
偉くなっていく人は、人には言わず自分自身の理念になっていると。
営業の研修でよく言う「Win-Win」の関係ですね。
他のサイトからのコピペ部分は良いんですが、筆者の言葉が入ると醜いですね。
「心から喜んでいる姿」
「その喜びを共有している姿」
「自他共に喜び合える」
「満足できる姿」
「最も大事な心構え」
「あらゆる知恵を絞り出し」
「日々の取り組みに活かし」
「つい目先の・・・」以降、いつもの筆者の倫理節です。
もっとスマートに書けないものでしょうか。
大袈裟で余分な言葉を入れて自己主張しているようだけれど、文章が酷くなっている。蛇足が多いのです。
いずれにしても顧客(取引先)とは喜びは共有できませんよ、絶対に。
立場が違うからね。
喜びを共有できるとしたら、同じ趣味のお友達と・・・ですかね。
糞本も読者の喜びのため廃刊しましょう。多くの人が解放の喜びを感じられますよ。
確かに労働力を売っている身としては、満足できませんね。
元ネタの小説知らないけど、この糞筆者が語るような上っ面の薄っぺらなつまんねえ話じゃねえだろ。
読みたくもならねえくクソレビュー。
宗教みたい
売り手買い手共に喜びを共有しましょうと?
管理者の言う通り、企業(会社)にとっての顧客(取引先)と我々従業員(被雇用者)の顧客(雇用者)は全く違うし立場も違う、そんな中でひとつの喜びを共有する事なんてできるわけがないです。
出来ないことを上辺だけの綺麗事ででやれと言う。
雇用者も被雇用者を満足させる事が出来てないでしょ?
大抵は会社に対して愚痴が出るでしょ。
雇用者はこの会社の労働対価は最高だよと被雇用者に言わせれるのか?
無理でしょ?
労働力に付随する品質向上などのサービスを会社に提供しても当たり前だとしてその対価を被雇用者に提供しない。
喜びを共有する事なんて出来ないんですよ。
それが当たり前に出来るのであれば、それこそ労働基準法なんていらないです。
法で規制して現状のザマですよ。
たいした仕事してないのでよくわかりません。
何故そういう考えを社内で出来ないのか