Tさんは仕事柄、外食の機会が多く、昼食は誰かと共にしています。ある日、久しぶりに一人で昼食を摂ることになりました。
飲食店に入り、少し寂しく思いながら食事を始めましたが、やがて、思わぬ新鮮さを感じ始めたのです。
それは、一つひとつの料理の味が、よくわかったということでした。料理をきちんと見て食べることで、いつもより、とても美味しく感じられたのです。
普段の外食の場では、視線は人に向かい、気持ちは話に集中しています。料理の色も香りも、味も、あまり気にかけないまま食べていたことに気づきました。
その日以来、食事をする際には、極力、料理を味わうように心がけたところ、食材や調理した人々への関心が、自然に高まっていったのです。
人々が集い、語らい、同じ料理を食すことで、親睦が深まります。そこに、料理と作り手への敬いの心を添えると、さらに充実した場になるでしょう。
命の源である食物に感謝し、食事の時間をより豊かなひと時にしたいものです。
今日の心がけ◆食事を感謝して味わいましよう
読点が、変な人が、また、来ました。最近の中では一番酷いです。
一人で食ったら誰かと一緒に食うより美味しかったので、それ以降人々が集って語らう時も料理を味わうようにし作り手を敬うと更に充実した場になった。
そんなん飯を食う目的によるでしょ。懇親会とか接待とかパニオン付けるとか家族でとか牛丼屋とか。
5+
要するに、食事への感謝の話ですね。
久しぶりにって言っているから、一人で外食したことはあったんですよね。
思わね新鮮さって何ですか?
「孤独のグルメ」の影響ですか?
料理と作り手への敬意の心を添える必要はありませんよ。
作り手も仕事としてやっていて「美味しい」と言う言葉が評価となるので、敬意なんていらないはずです。
毎日「職場の教養」を読んでいると、「感謝」と言う言葉に重みがなくなってきていることがわかります。
「感謝」と言う言葉が安っぽくなっているんです。
何故ですかね。
筆者はそれをよく考えなさい。
確かに、職場の教養は感謝って言葉を多用していて、内容が内容なだけに安っぽく軽い言葉に聞こえますね。
1人で食べるとより美味しさが感じられたという人も珍しいですね。
私は逆に大勢で食べた方がより美味しく感じます。
人それぞれなのに、一方的な目線で充実した場になるなどと人に言うなんて、はっきり言ってこういう簡単に綺麗事を言う人間がいるから、食品ロスが増えるんでしょうね。
本質を見ず、上辺だけで語っている、典型的な勘違い野郎ですよ。
感謝して味わうとは?
誰に感謝?何に感謝?
いちいち有難がって食べろと?
冷静に考えてくださいよ。
食う事に敬意なんて必要ないですよね。
職場の教養として書くなら、まず句読点など文章の書き方を学びましょう。
こんな句読点を見習う人がいれば悲劇です。
食事をする際には、極力、料理を味わうように心がけたところ、食材や調理した人々への関心が、自然に高まっていったのです。
↑↑こんなこと言ってるけど、おそらく筆者は仕事柄外食の機会が多いのではなくて、自炊能力のない男で、
仮に結婚していたとしたら、普段から嫁が飯作るの当たり前と思ってるようなDV予備軍で、
それがぼっち飯食ったらまともなこと考えちゃった程度の話に過ぎないと思われる。
感謝とか敬うとか言葉や口先では言ってるけど、目の前のこと以外に想像力が働きませんでしたと白状しているようなもの。
私としては「食事を感謝して味わいましよう」じゃなくて、「自炊生活送ってみろ」とおススメしたい。
簡単な飯作る程度なら毎食やるのが手間なのであって敬られるほどのことでもなかったりするから。
もっというと自分が飯作る側でもないくせに、他人に感謝しろとか偉そうなこと言うなよ。
この文章に違和感を感じるのは、句読点だけではないです。
「料理を味わう」と「食事を味わう」と、料理と食事を同じ意味で使っていることです。
食事とは「食べる事」が目的です。
料理とは「料理を味わう事」が目的です。
Tが飲食店で昼食を取る(食事をする)のは、仕事柄と言うのでおそらく営業担当とか外務員とかだと思われます。
だから、移動時間も含め1時間以内(短時間)で済ませる必要があります。
しかし、今回は文章から一品料理を複数頼んだのでしょう。
久しぶりの一人だから、ちょっと高級な料理店で自分の好きなものを選んで頼んだのでしょう。
普段は誰かと「ファーストフード店」だけど、今日は一人で「高級日本料理店」です。
食事を提供するのと、料理を提供するのは全く違います。
本文前半はTが本当に体験した普通の出来事だけど、筆者が勘違いして文章化しました。
後半は適当な嘘話です。
マックや吉野家で料理を味わうように心がけたところで、食材や調理した人々への関心が、自然に高まりますか?
料理と作り手への敬いの心を添えると、さらに充実した場になりますか?
最後、いきなり「命の源」の話にすり替えられると、そもそも何の話だったのか当初の話の内容がすっ飛びます。
昼食をより豊かなひと時にしろと言うのなら、給料を上げたうえで昼休みを1時間半に延長すべきです。
食事の場、料理の場、それぞれを更に充実させる必要性を感じません。
世間では、命の源は食物より水の方だと言う意見の方が多いようです。
マジで職場の教養じゃないし、
プライベートの思想まで押し付けている。
文章の下手さ以上に大問題な文章だ。
このカルト宗教が!
そういえば信者が倫理法人会はカルト、というのに反論してるブログがありました
https://domedi.jp/rinri/rinrihoujinkai-religion/
この人、書いてるうちに宗教だと内心気づいてるだろ笑宗教を朝礼で強制するのは大問題だし問題だと思わないならカルトだ!
このブログ、
よく読んでみると面白い一文が。最後のほうに
『「やっぱり目に見えない力ってあるよね」と感じたことがあるなら、倫理法人会で心を整える勉強をしてみる価値はあると思いますよ。』
おい!それ宗教だろって!哲学じゃねえだろ笑!!!!
まず、宗教と哲学なんて似たようなものでどっちとかいう議論なんてできないから「哲学です」なんて言ってる時点で終わりなんだけど
『純粋倫理とは守れば幸福になる厳然とした日常の法則、生活の法則(くらしみち)。』
こんなもの疑わず信じてる時点で宗教なんだよ!ともかく職場で押し付けるな!新入社員がかわいそうだ!
見ました。
社会的立場を利用して無理やりその哲学を押し付けるなと、やりたい人だけ勝手にやれと思うんですがね。
あとね、日本人が宗教に関して無知なのでは無くて宗教観が違うだけですよ。お天道様と先祖を大事にする日本人と他が違うだけです。じゃ世界三大宗教の信者は日本の宗教観を理解しているの? って話です。
自称「WEB集客プランナー兼ウェブ解析士」の信者Tのサイトを見ました。
自分が否定できる部分を挙げては否定しているので、ちょっとした小芝居に見えました。
基本的に、私も倫理法人会がやっていることが宗教であろうがなかろうが関係ないです。
「職場の教養」と言う小冊子を強制的に読まされ、感想を言わされているなか、各個人の倫理観を無視して(経営者保護のため)社員に偏った価値観の倫理を強制・強要しているところが垣間見られるからです。
『何も知らない人が見ると、「倫理法人会ってどんな団体だよ・・・」って不安になると思います。』
それは知っている人が知らない人に注意喚起しているからです。
法律上、倫理法人会が一般社団法人であることは分かっているけれど、宗教法人的な活動をしているから皆が言っているのです。理解しなさい。
文章途中で『詐欺的手法で一時的に繁栄できたとしても、それが40年も続くほど、日本の社会ってアホなのでしょうか?』と言っているけれど、最後には日本のマスコミを愚痴っています。アホだと言っています。この矛盾は何でしょうか?
Tは、倫理法人会は宗教ではなく哲学だと言っていますが、そんなのはどっちでも良いです。
宗教であろうが哲学であろうが、間違ったことを強要したらそれは罪です。
定義がどうこうは関係ない話です。本質的なこと、現実的なこと、非信者が言っていることを論じなさい。
『つまり、「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」ということ。これが倫理法人会の本質であると私は考えています。』
倫理法人会の本質とは、同じ意味でも言葉をパズル化して順序を変えることで、あたかも新しい考え方を生み出したように認識させること。結果的に何も変わらないことを生産していることだと思います。
『お祈りをして売上を上げようとする倫理法人会の会員は、少なくとも私は知りません。』
この近辺の文章から、倫理法人会の対象者は迷える経営者であり、「職場の教養」はその経営者を補佐する小道具であることが分かります。お祈りはしていないだろうけれど、その代わりに作り笑いをしているから同じようなことです。
このページを紹介していただきありがとうございました。
違った角度での「反面教師」として役に立ちました。
この信者Tは隠そうとしているけれど、逆に表面化している倫理法人会の本質とは、
「お金を出してくれる経営者のために、社員の思考を狭めて行動を管理し、仕事の効率をあげて会社の利益追求を手助けすること」です。
経営コンサルタント業としてならまだしも、倫理と言う言葉を持ち出し、社員の思考を狭めることが正しいかのような強制的な活動を許せるわけないでしょう。
このブログ書いた信者は根本的に勘違いしてるよな。
実際の宗教かどうかなんて正直関係無いよな。
俺らから見たら完全なカルト何だからねえ。
社団法人だから宗教ではないという詭弁を信者や教団はよく用いますね。そのように教育されているのでしょう。
職場の教養なのに、食べ物の話?
変なの。
ん?ぼっち飯の推奨?
そっか・・・群れられて飯食って、会社の不平不満を話されたら困りますものね。
社員の視野を狭めるために、極力群れささないようにしたいんですね。
オレ、トロール、ご飯、おいしい。
食う事は生きる上で当たり前。
敬うとか関係無い。
それ言ってるの人間様だけ。
何でもかんでも感謝に結びつけるな、安っぽい。
こんなご時世に毎日誰かと会食してんのか。信者は呑気なもんだな。
私某仏教系信仰宗教の会員で、そちらの方でも心について学んでるんですが、その立場からしても筆者のジジイはヤバいんですよ。
1.上司先輩を絶対化しすぎ
2.物事の原因と結果が不明確
3.自分の性格に近い登場人物を恣意的に正当化
4.サービス労働や愛想、企業崇拝などの要求
5.セルフマネジメントという視点でそもそも語られていない
6.結局強欲な経営者相手に売りつけやすい内容ばかり
などなど、スピリチュアルだの哲学だの言って信仰するのは勝手ですけど、真理を追求しつつ衆生の救済を考えているマジモンの信仰者からしますと。
舐めてるとしか思えないんですよね。
あとまぁ、嫌がる相手への押し付けや教化はやっぱりダメですよ。