日々の生活の中で、私たちは自然に対し、どれだけ心を向けているでしょうか。
NPO法人森の蘇りは、多様な生物の生育を支援するため、自然の営みを学び、過密になった森林の問伐を行なっています。下層植生の回復を通じて水源かんよう機能を維持し、大雨による土砂の流出防止も目指しています。
推進している方法は、枝が重なって地面に光が入らなくなった森で、本の皮を剥ぐことです。これにより、地面に草木が根を張り実を結び土壌が豊かになって、生き物の食べ物やすみかとなります。
この皮むき間伐を「きらめ樹」と名づけ、女性や子供でもできることとして、活動を呼びかけています。
自然を保護する活動は様々にあります。その活動を通して、普段使用している物への愛着心や大切さなど、様々な気づきが生じることでしょう。
時には、仕事以外でも他人や自然にも喜ばれるような活動をすることで、心の充電をし、明日への活力にしていきたいものです。
今日の心がけ◆役に立つことを行ないましよう
日本の約7割が森林です。それも燃料としても木材としてもコスト的に価値がなくなったせいで過去最高の面積らしいですよ。人が燃料として木を使わなくなったせいで森林が人間のエリアの近くまではびこり野生動物が人間のエリアに出没するようになったとの事です。
で、国土の7割にも達する自然に対して自然保護活動なんて一体何が出来るんですかね。鼻くその役にも立たないですよ。急峻な地形で機械が入れない場所の材木はコスト的に割に合わないでしょうしどうしようもないです。米みたいに手厚く林業を保護しないとジャングルになります。
うちの近くで30000平方m位の面積の森林を伐採してバイオマス発電の燃料にするそうです。173m×173mですね。木の量は 1t/100m^2 らしいので、300t位の木がある事になります。木は15GJ/t位の熱量ですのでこの面積でおよそ4.5TJ分になり、重油換算で112.5kl分になります。大きいタンクローリーが20klなのでタンクローリー5.62台分です。重油換算で866万円分です。木を伐採したり運んだりするのに866万円では難しいとおもいます。補助金が出なければ破綻します。こういう事業が日本中で必要になります。
御教団の礼拝を止めれば従業員の9割以上が宗教の押し付けから解放されてラクになりますよ。
役に立つことを行いたいなら教団を解散してはいかがでしょうか。
心の充電の仕方は人それぞれです、ゲームをしたり本を読んだり、スポーツをしたり・・・。
自然保護で心が充電される人はすれば良いし、いつものごとく余計なお世話です。
多様な生物の生育を支援するため、人の手が入っていますが、それを「自然」と言えるのでしょうか。
自然を学ぶんなら、ビオトープを作ったほうが良いよ。
自然を大切にしたいなら糞本も電子化すればいいし、わざわざ冷暖房の要る早朝にクルマで集まるのを止めれば良いのでは?
自分たちでできることをやらず、我々に強制するのはどうしてでしょう?
倫理法人会は宗教
活力朝礼は礼拝
役に立つことをする事が心の充電?
人それぞれ充電方法は違うでしょ。
職場の教養って、個性とかそれぞれの考えとかを完全無視して、人はこうすればこう育つと思い込んでいる戸塚ヨットスクールみたいな危険な決め付けをしてるよな。
人それぞれ生まれ持った脳内物質の分泌量のバランスが違うんだから、同じように育てても違う個性が出るのに、ホント古くて間違った考えで決めつけ押し付けをして無意味な事をさせるよな。
恐ろしい宗教だよ。
そう思います、
個性を育てるのが上司の役目です。
他の会社に自然と心が向いたなら、転職を勧めるのも人生の先輩としての役目です。
無知な人間の発想は、綺麗事だけで完結しようとしている。
仮に多様な生物の育成を支援するなら、試しに山奥で獣の餌になる作物を作ってみれば良い。
猪や鹿が、作物が成長し切れない時点で食い漁る。
味を占めた獣は、人家に降りて来るでしょう。
農業は先人からずっと、自然との戦いなのですよ。
自然を優先するなら、人類は死滅した方が良い。
自然を大切にしたいと思うなら、人はそこには入り込まないこと。
未開を開拓し、農林水産業を中途半端にすると、そこには本来いなかった生物が入り込む。
外来生物もそうだが、我が地域には竹林が人知れず(一般の人は知らない)農業の妨げになっている。
竹はその成長が早く、山林を所有している地主はここ最近休みの日には山に入り、粛々と竹を伐採している。
茶畑が荒れると竹林になると実感している。
たまに若い人たちが山に入っては木の伐採を体験している。
安全な場所での作業なので、山全体を見れば中途半端である。
今度「倫理法人会?自然に心を向けているのかな?明日の活力になっている?」と聞いてみたい。
倫理法人会の信者は頭いかれてる