本日は、大晦日です。
月の満ち欠けを基にした旧暦では、新月を一日とし、月が隠れる頃の三十日は暗いという意味の「晦(かい)」の字を当てて、「晦日」と呼ぶようになりました。転じて、月の最後の日を意味し、三十一日まである月は、三十一日を晦日といいます。
また、月が隠れる意味の「月隠り」が転じて「つごもり」とも呼ばれます。晦日の中でも、一年を締めくくる十二月には大をつけて、「大晦日」または「おおつごもり」と呼びます。
その昔、大晦日は正月に年神を迎え入れる準備の日でもありました。年神は稲の豊作をもたらす神様で、家を守る祖先の霊とも考えられていました。
大晦日の夜は、一晩中寝ずに起きていて年神を待つ、という習わしがあり、うっかり寝てしまうと白髪になったり皺が寄ったりする、という言い伝えもあったそうです。
大晦日は、身も心も清めて、新たな年を迎える準備をしたいものです。
今日の心がけ◆新たな気持ちで新年を迎えましよう
12月になってから「区切り」とか「けじめ」みたいなニュアンスの話が5回位はあったでしょうか。数人の著者がそれぞれ書いたのでしょう。
著者が一人じゃないから以前に言った事を否定してみたりするんですね。真剣に読んでいる人はこの矛盾に気が付き、毎日ボーっと聞き流している信者は気が付かないで毎回ハッとするんです。
というわけで一年お付き合いいただきましてありがとうございました。
4+
言葉の雑学の羅列で無理やり教養感出してるけど、最後の一文の
『大晦日は、身も心も清めて、新たな年を迎える準備をしたいものです。』
が、まったくその雑学の内容を活かしていない関係のない大晦日っぽい当たり障りのない心がけに終わっている。
つまり著者は何かを伝えたく前振りとして雑学羅列したわけじゃなくただ老害特有の上から目線で偉そうに語ることが目的なだけで、全く蛇足な文章である。
本当に文章が下手だな。無教養老害は。自覚しろ。
というわけで良いお年を。
いつまでも不思議な冊子として「職場の教養」は存在するのでしょう。
もっと若くて教養がありそうな信者が書けば良いものを、なぜ死ぬ間際の年寄り信者に書かせるのでしょうか?
最近はボケた昔話ばかりで、いささかうんざりしています。
「身も心も清めて」
具体的に、今日、あなたは何をするつもりですか?
滝にでも打たれに行くの?
適当な事ばかり言ってないで、さっさと隠居しなさい。
来年も引き続き、グーグル検索で「職場の教養」トップに君臨しましょう。