「筆まめ」という言葉があります。これは「文章や手紙などを面倒がらずに、まめに書くこと」をいいます。
漢字では「筆忠実」と表記します。「筆に忠実である」と意味するように、筆を単なる道具として捉えるのではなく、「筆は、謙虚な心と姿勢を育む存在」と解釈ができ、古人の奥床しさが感じられます。
昨今はスマートフォンがあれば、気軽に、すぐにメールで用件を伝えられます。これに比べると、筆やペンを使って手紙やはがきを書くことは、手間も時間もかかり、忙しい現代人には敬遠されるかもしれません。
しかし、気持ちを込めて一文字ずっていねいに書くことは、気忙しさから離れ、心に余裕が生まれます。文字や文章で自身の個性を発揮できることは嬉しくもあり、差し出す相手を思いやる、特別な時間へと切り替わります。
年賀状が販売される時期になりました。今年はゆったりとした気分で、筆やペンをとり、直筆で書いてみてはいかがでしょうか。
今日の心がけ◆心に余裕を持って書きましよう
「筆は、謙虚な心と姿勢を育む存在」と解釈ができた理由を知りたい。
直筆で書きたい人はそうすればいいし、ビデオメッセージを送りたい人はそうすればいい。
年賀状にその人専用の動画のリンクのQRコードを印字して送ってみてはどうでしょうか。直筆よりはるかに心がこもってますよ。直筆<肉声でしょ。
3+
私はコーネルメソッドノートを使っています。
これは記録というより、書くことで覚えるためのノートです。
気持ちは込めないけれど一文字一文字丁寧に書きます。
それは、自分自身が内容を覚えるためです。
ノートパソコン等で打ち込んだ方が覚えやすいのなら、そちらの方が良いでしょう。
要するに、その人その人で結果を出せれば良いので、その人が選択すれば良いだけの話です。
N H Kで漫勉neoと言う番組があり、出演する漫画家も手書きの場合もあれば、パソコンとタブレットで描く方もいます。
パソコンを使ったからと言って早くできあがるというものもありませんでした。
作家だって同じですよね。要するに、手段の選択です。
年賀状を筆やペンで書けというが、その昔、プリントゴッコが流行った頃、私は5重印刷にチャレンジ失敗してボケボケの味わい深い年賀状か完成しました。
パソコンを活用した時は、Photoshopを使い時間をかけ、差し出す相手が驚くような年賀状を作成する特別な時間へと切り替わりました。
まめに書くから何だというのでしょう?
古人の奥ゆかしさを感じる必要がどこにあるのでしょう?
スマホで気軽にメールすることのどこが悪いのでしょう?
気持ちを込めて一文字ずつていねいに書きたいのなら、日記を書いたり、習字や写経で良いのではないですか?
心に余裕を持つ方法は人それぞれです。
筆者に決めていただくことではありません。
選択権は私にあります。
筆まめ?使ってますよ。便利だよねあのソフト。
スマホはメールしか送れないと思ってるのか?
手書きの文字より動画送った方がよっぽど温かみがある伝わると思うのだが。
現在のデバイスをなぜ活用しようとしない?
手書きをスキャンして送る事はどう思うんだらうな?
デジタルペンで手書きして、メールで送ります。
それなら文句はないんだろ?
じゃあ職場の教養も手書きで出版しろ。
そうすれば1ミリ位は伝わるかもなw
じゃあなぜ職場の教養は手書きじゃない?
言ってることとやってることが全然違うだろ
インチキ宗教の倫理法人会はさっさと解散しろ
筆でおまめを刺激すると気持ち良いですか?
忙しい現代人には、って言っといて
「気持ちを込めて一文字ずっていねいに書くことは、気忙しさから離れ、心に余裕が生まれます。」
はねーだろ。忙しいから書いてられないんだろ。
暇なジジババがやっときゃいい。
というか、別に現代人だって丁寧に書くときは書くし、
1000年前の過去の庶民なんて手書きそんなしてないだろ。
自分が生きてきた時代がすべてだと思うな、そして押し付けるな老害
そもそも職場の教養は、他人が決めてくれないと何もできない信者のためのものです。
自分自身のことは自分が責任をもって判断するのが普通だと考えている者からすると、職場の教養の内容は「間違いだらけ」「大きなお世話」なのです。
しかし、何故、倫理法人会は信者を過去へ引き戻そうとするのでしょう。
判断力がない経営者が社員も自分と同様だと判断しているのでしょうか。
社員の成長が会社の成長に直に繋がるのに、それを人任せにする経営者ではその会社に将来性はないでしょう。
誤字脱字があり内容がショボくても、社長が自ら書いたものを社員に提供した方がずっと良いと思います。
不器用ながらも社長自らが未来を語り出したら、きっと良い会社になると思います。