毎年、四月八日と本日、十月五日は、「折り紙供養の日」です。折り紙作家の河合豊彰氏が提唱して定められました。
折り紙は江戸時代から伝わる日本の伝統的な遊びの一つです。この折り紙の技術は意外なところで活かされています。
東京大学の三浦公亮名誉教授が考案した「ミウラ折り」は、大きな物を小さくたためる折り方で、「宇宙実験・観測フライヤー」で太陽光パネルの開閉に採用されました。また、折りたたみの地図などにも活用されています。
今では欧米を始め多くの国に、日本語の「origami(オリガミ)」という言葉と遊びが浸透していますが、日本人にとっては楽しむだけのものではありません。例えば千羽鶴を折る時は、平和祈願や病気平癒などの願いが込められます。
昔の人たちは、物にも魂が宿ると信じて大切に扱いました。「折り紙供養の日」は、役目を終えた折り紙を不要な物として扱うのではなく、感謝を捧げて供養する日なのです。
今日の心がけ◆物を大切に扱いましよう
また、だれかが勝手に定めた「何とかの日」ですか。
この前もそんなのがありましたよ。
今日も「職場の教養をdisるサイトが制定した職場の教養没滅の輪を広げる日」にしましょうか。
本文の内容はいつもの物にも魂が宿っているので感謝して使って最後は供養するっていう内容。最後は本文の内容とかけ離れた今日の心がけ。
もうなんなんですかね。そんなに信者は物を大事にしないんですかね。すぐ忘れるんですかね。
そういえば、私がよく行く会社ではwindowsXPのパソコンを今でも大切に使ってますよ。10BASE-Tのハブもまだ使えるから大切に使っていします。officeもVL版だったりパッケージ版だったりバンドル版だったり入り混じって訳が分からない状態になってます。職場の教養的には、物を大切に使う非常にいい会社ですが、私が知る限り6年間はボーナスが出てないようです。
だから何ですか。
いつの時代の、どこの世界の話ですか。
職場で折り紙の話題に触れたことなど一度もありません。
ここ一年で千羽鶴を折った人、周りで何人います?
物に魂が宿ると信じているのは筆者だけではないですか。大好きですもんね。
感謝を捧げて供養する日と言われてもね。
まして、物を大切に扱いましょうって、折り紙って「物」ですか?
折り紙を不要な物と扱う事はないですよ。しかし、魂が宿っているとも思わないです。
感想ですか?
「役目を終えた折り紙を供養し、極楽浄土で自由に飛び回れることを祈ります。」
完璧ですね。
江戸時代の話に決まっていますよ??
筆者の生活環境は恐らくこの時代で止まってますから。
どうやら
https://netwadai.com/blog/post-8226
からのコピペですね。
「感謝」とか「物にも魂がある」とかで検索してヒットしたらコピペです。
筆者もネット使ってズルしているようです。
勝手に引用して良いんですかね。ほぼほぼ丸写しです。
特にイベントは無いようで、個人がそれぞれに折り紙供養を行えば良いようです。
一部の折り紙大好き「おじちゃんおばちゃん」のイベントですよ。
感想です。
「本日は折り紙供養の日ですので、社内全員で千羽鶴を折り、千羽折れた時点で後始末し供養しましょう」って誰が賛同するんだ?がははは
千羽鶴を折る為だけに社員みんなで時間外労働。
熱心な信者企業なら本当にやってそうで恐怖です。
俺は折り紙なんかしないし、スマホの地図あるから折り畳みの地図も使わない。千羽鶴なんか折ったこともない。
だから折り紙には何の感謝もない。
??「スマホやタブレットは電池が切れたら使えない、パソコンは停電した時どうする!リスクを考えろ!」
千羽鶴って災害時に贈られて一番迷惑なモノですよね。被災地でも処遇に困るようです。
紙くずよりも現金を贈りましょう。
ばらせば尻を拭く事はできる。
集落の人間にとって一番のハイカラ物が、色のついた折り紙なのでしょう。自慢したい気持ちは解ります、時代はスマホやタブレットなので今更紙媒体を喜んで使う人など絶滅危惧種です。
とは言って理解出来る頭も無いでしょうが。
みなさまご指摘のとおり、〇〇の日シリーズとか〇〇の誕生日シリーズは鬱陶しい。
で?としか言いようがない。
取り上げる意味を考えていないし、ネットで検索して出てくる〇〇の日をただ載せているだけだろ。
本当に薄っぺらい本だな!
こんなのを教養とか言って恥ずかしくないの?
しかも今回はアフィブログのパクりですよ
倫理法人会が解散したら、いつでも供養いたします。
(=´∀`)人(´∀`=)
その日が来たら、盛大にお祝いしましょう。
不要だから燃やすのであって「供養する」という言葉は綺麗事にしたいから言う言葉でしょう。
「物を大切にしましょう」と言うのであれば、燃やさずに取っておくべきではないでしょうか。
「燃えるゴミ」をどう言ったところで「燃えるゴミ」でしかないのですよ。
倫理法人会の曖昧で卑怯なところです。
物には魂が宿っていると言っているので、折り紙であってもゴミであっても、捨てたり燃やしたりできないのです。
本来なら倫理法人会の事務所もゴミ屋敷になるのでしょうけれど、代わりに「後始末」や「供養」したりするのでしょう。
信者がゴミを燃やしていても「これは供養しているんです」って、幼稚な言い訳をするわけですよ。
雨の日に事務所前の大きなゴミを社長が片付けるだけで感銘を受けちゃう信者がいるくらいですから。
人もゴミも、それぞれに魂が宿っていると言うのです。
非信者は倫理法人会からすると、ゴミ以下かもしれません。
ちなみに明日の内容も感謝ですね。
ほんとそれしか言うことないのかよ笑
水曜どうでしょうの四国八十八ヶ所で、大泉さんが「いやぁ〜ありがたいなぁ〜♪」と言って、人のパンを食っていました。
職場の教養の「感謝」もそれに似ていて、ギャグですよ。
「ゴミにだって魂が宿っている。感謝して供養しましょう。」って、実際の現場見たら引きますが。
きっとゴミの日には出さないでしょう。
ゴミ供養の日には信者全員が手を合わせ、御祈祷するんじゃないでしょうか。
折り紙でケツでも拭いとけや。
信者のサイトを見て来ましたが、やはり物には魂が宿っていると信じていました。
私が医者なら、ひと月で良いから倫理法人会と距離をとってみなさいと指示します。
薬は処方しません。
馬鹿に付ける薬はないですからね。