大分県中津市にある「青の洞門」と呼ばれる洞窟のような道は、江戸時代、禅海和尚が石工たちを雇い、三十年かけて完成させたといわれています。
この道が造られる前は、崖に張られた鎖を頼りに人馬が往来し、滑落事故が絶えませんでした。その惨劇を目の当たりにした禅海和尚がノミと槌を用いて掘り進め、一七六三年に開通しました。
三十年もの間掘り続けるのは、並大抵の努力ではありません。一見無謀なように感じる挑戦は、禅海和尚の慈悲の心から始まりました。日々の地道な努力によって完成し、長い間にわたって尊い人命が救われました。
私たちも仕事や生活の中で、どうにもなりそうにない、挫けそうになる壁にぶつかることがあります。そうした時こそ、なぜそれを始めたのかを振り返ってみましょう。
そうして怯まずに一歩一歩困難なことを乗り越えた時、自信が培われ、大きな達成感があるはずです。
今日の心がけ◆コツコツと続けていきましよう
多分、コツコツやって成功せずに日の目を見ないで終了した事が全体の95%位じゃないかと思うのですが・・・。そして問題は人間は寿命があるって事ですよ。
だから複数の事を同時にしないとダメなんです。何個かのうち1つが成功すればいいと思うんです。その一つが会社の他にも収入を得る方法を数個作るんですよ。会社なんて潰れるものだと最初から思ってないと痛い目見ますよ。会社の収入が全体の半分以下になると、この糞本にあまりイラだたなくなってくるんです。多分。会社に命を懸けているような上司を見ると可哀そうに見えてきます。
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三十年かけた日々の地道な努力を、何故、筆者は無謀のように感じたのでしょうか?
日々、地道な努力をせず、一気に解決しようとする方が無謀でしょう。
我々は自分と家族の幸せのために日々、地道に仕事に携わっています。
二十歳から定年まで、毎朝くだらない本を読まされる朝礼にも嫌がらず参加し、四十年間、働き続けるのは並大抵の努力ではありません。
それを「無謀」と言うのでしょうか?
真面目に、誰かに文章のチェックを入れてもらってください。
それから後半、壁にぶつかる話になっていますが、既に話の内容がズレていますよ。
筆者は先人が大好きだけど、このような話は個人だけの話ではなく、その個人に関わった人々や仲間達がいる事を紹介した方が良いと思います。
職場の教養なんですから・・・職場はチームで動いているんです。
個人の話だけでなく、チームで何をすれば良いのかを紹介したらどうでしょうか。
ま、日本語を知らない人に何言ってもしょうがないですけれどね。
毎回後半がぼやけて感じるのは、筆者の文章力のせい?
倫理法人会が長年かけて創り出した物など「パンジャンドラム」よりも実戦で役に経たない。あの朝礼で得られる物って何なんですかね?集団コント?
大分県が汚れる。
コツコツと続けていきたいと思っているのは、「職場の教養」の事なのでしょう。
また、それに付き合って欲しいと…。
日々の地道な努力と簡単に言いますが、三十年間、「毎日一歩ずつ困難を乗り越えていかないと大きな達成感が得られない一見無謀なように感じる挑戦」を誰が実行するのでしょう。
一歩前に出られなくなった時点でゲームオーバーです。
それまでの努力は無駄になります。
「どうにもなりそうにない、挫けそうになる壁」>「なぜそれを始めたのか」であれば、早めに方向転換を勧めた方が良いです。
私なら、一歩前に出る前に、なぜそれを始めるのか時間をかけて考えます。
とりあえず一歩出て、後悔する事は少なくありません。
人に左右されず、自分自身に問い、月日をかけても納得してから一歩歩み出しても遅くないと思います。
自分のための自分の人生って、そんなものです。
ところで、ちょっと疑問があります。
三十年もの間、並大抵の努力ではない努力をしたのは?
1. 禅海和尚
2. 禅海和尚が雇った石工達
だよなー。
禅海和尚が雇った石工目線で話をしないと、従業員には関係ない内容になるよな。
禅海和尚の話なら後半は経営者向けになるもんなー。
倫理法人会の信者は頭おかしい
三十年掘り続けた俺の肛門を見せてやろうか?
雇い主の話なんだから、社員には関係ない。
てか、職場の教養は根本的に被雇用者と雇用者を一緒にしてるから間違え。
活力朝礼で1日のやる気が全て削ぎ落とされる。
信者を見ているだけでイライラする。
頭いかれ宗教の倫理法人会なんてさっさとなくなれよ。
社会に必要ない。