Aさんは小学生の子供の運動会に参加しました。プログラムを見てわが子の出番を確認し、絶好のシーンを撮ろうと場所の選定なども熱心に行ないました。
「今日のハイライト」と位置づけた五十メートル走では、早めにゴール前に席を取り、本番を待ちました。
やがて競技レースは始まり、ある組では見るからに足の遅い男子児童が懸命に走っている姿が目に留まりました。誰よりも遅れている状況でした。
その時、Aさんの前に立っていた父親が不満気に呟きました。「足が遅いなー。このままだとダメじゃないか…」
すると、横にいた母親が、「でもあの子、笑顔で走っているわよ。素敵な笑顔ね。そんなに楽しいのかしら。夕飯の時に褒めてあげましょうよ」と言って、拍手をしながらわが子のレースを見守ったのです。
子供の順位は客観的な事実ですが、数値化できない「笑顔」に着目したお母さんに、Aさんは感心しました。意識して相手の「良さ」を見つけたいものです。
今日の心がけ◆良いところを見るようにしましよう
今日も笑顔かよ。
この文章で情景を描写すると、小学校低学年の足が遅い男の子が一生懸命に走っているが、なぜか笑顔で、我が子を応援しない父親と、我が子を他人事の様に見ている母親。と言うシュールな感じにしかならないんですが・・・。
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中長距離じゃないんだから、10秒そこらでこんな会話するわけねえだろ。
明らかに嘘話とわかることをいい大人集めて読ますな。馬鹿馬鹿しくなって仕事へのモチベーションが下がります。
どうして職場の教養の筆者は、自分をAさん、Bさんとして自分自身の意見に責任を持たないのでしょうか。常にいつでも逃げられるようにしている。
筆者が意識して見て、ある児童を「見るからに足の遅い男子児童」と評価しました。
見た目で判断しています。口に出して言わなくて良かったですね。目の前に両親がいたのですから。
母親の言葉はちょっと盛っている感があるけど、どこの親もそうですよ。
極々普通です。
筆者に言いたい。
何故、このような内容の文章を紹介したのでしょう?
「見るからに足の遅い男子児童」と見た目で評価する人間に、意識して相手の「良さ」を見るようにしましょうなどと言われたくない。
あなた自身が反省すべきです。呆れます。
笑顔が今年のブームか?
子育ての話をだらだらと書いているが、で?って感じしかない。
「職場の」強要だろ?
子育てと仕事を一緒にするなよ。
こんな本読んでも何も得られるものはないな。
まあそもそも職場の強要は宗教雑誌だから、我々非信者には必要のないものだが。
宗教雑誌を朝礼で読ませるとは何事だ!
悪いところには目をつぶれってか?
いやあかんだろ。それ会社がダメになってゆく原因やん。
悪いところを改善してゆくのが仕事だろ。
毎晩遅くまで残業です。しかもサビ残です。しかし、そのおかげで納期に間に合いました。
良いところを見てみよう。「納期に間に合った!誉めてやろう」
でも悪いところは見ないでおこう。「残業残業で人手が足りてない。しかもサビ残。。。まあ納期に間に合ったんだからこれでいいだろ。」
どう思います?