日本には古くから、すべての物に神が宿るという「八百万の神」という考え方があります。八百万とは、無限に近い神がいることを表わす表現です。
物には神が宿るからこそ、感謝して大切に扱う習慣が、現代の生活にも数多く残っています。
一方で、物がなくなったり壊れたりするのは、物に宿る神々が自分になり代わって災いから守ってくれたと考えることもあります。
夫から贈られた指翰が見当たらないAさん。数日前に自分のわがままで夫と囗論したためだと、ひどく落ち込みました。ところが、夫は「何か大変な事態になるのを、指翰が教えてくれたんだよ」と言いました。
夫がそう答えてくれたことで、Aさんの気持ちが楽になったのです。
先人たちは物には「神が宿る」と考え、大切に扱ってきました。この共存文化を大切にし、次世代にも引き継いでいきたいものです。
まずは、物に感謝を込めて、手入れに取り組んでみてはいかがでしょう。
今日の心がけ◆物を大切にしましよう
汎神論的な考えです。
でも針供養とかしますが、針を崇めたりはしないんです。ゆるいんです。
もしかすると何でも擬人化する日本人の風潮は、ゆるい汎神論が我々の根底にあるからかもしれません。
それを無理やり、「物を大事にしましょう」に結び付けるから気持ち悪いんです。
率直に「経費を節約しましょう」だっら分かるけど、何かに例えて遠回しに言うなって思いません?
大人を馬鹿にしている例えで言うなって思いません?
0
今まで散々、大切にしなかった備品が壊れたとか、そんな話があったくせに、今日で全てプチ壊しやがった。
備品は、自分になり変わって危険から守ってくれてたんじゃねーか!
今回は、「千と千尋の神隠し」の世界ですか。
映画では、川の神様が出ていました。
倫理法人会では、無限に近い神がいて、物という物に神が宿っていると説明しています。
しかし、私は我々の生活を豊かにしてくれる自然の恵み(川や山など)に神が宿るというイメージで映画を観ていました。
今回気になったのは、「一方で、物がなくなったり壊れたりするのは、物に宿る神々が自分になり代わって災いから守ってくれたと考えることもあります。」と言う文章です。
最近、職場の教養を読み過ぎて麻痺していたのだと思います。
このような訳のわからない文章を、大人は普通に納得しているかのように子供にとらえられてしまっているのではないかと。
提案です。
このあたりをはっきりさせるために「職場の教養」を映画化し、PG-12、またはR-15(R-18か?)指定にしましょう。
「共存文化」って何でしょう?
いくつかの文化が共存しておるのかと思ったけれど…そうでも無いようだし。
物に、神以外なものが存在している?
これ以上、物事を複雑にしないで欲しいが。
感謝して、神も一緒に後始末。
お後がよろしい良いで…。
朝礼後、うちの課のスタッフからこんな話を聞きました。
「見当たらなかったのは指輪だけでなく、切断された薬指も」だと。
数日前に自分のわがままで夫と口論し、逆上した夫が指輪だけでなく薬指も一緒に切断してしまったのだという話で、ネット上に流れていたとのことです。
指輪には神だけでなく、薬指もくっついていて、それで共存文化と言い出したのですかね。
この話を大切にし、次世代にも引き継ぎます。
『物には「神が宿る」と考え大切に扱ってきました』と言ってますが神々の集まる伊勢神宮や出雲大社は定期的に建て替えてますよ。この事実はどのように説明しますか?
PLをクビになった亜流宗教のくせに、神道を騙った説明はやめていただきたい。
それに物がなくるのは管理者の能力不足であり、物が壊れるのは寿命だからです。都合の良いところだけを取り上げて強要しないでください。
もー、朝からこんな話しないでほしい。
気が滅入る。
朝っぱらから神がどーとか死ぬほど下らない内容でゲロが出そうでした。
文章でよくわからないのが
喧嘩→指輪なくす→何か大変な事態になるのを、指翰が教えてくれた
????どゆこと????