Yさんの実家では、中秋の名月の時期になると、母親が作った団子を食べながら月を眺める「月見」の行事を行なっていました。家中の電気を消して、窓から差し込む月明かりの明るさに、幼いながら、深く感動したといいます。
ある日、そのことを思い出すきっかけがありました。Yさんが、漢文学者である故・白川静氏の「明」の字の由来の文章を読んでいた時のことです。
白川氏によると、「明」は、もとは「朙」と書かれていたといいます。左側の「囧(けい)」は部屋の窓を表わし、これに「月」を組み合わせて、月の光が窓から差し込んで、明るく照らす様子を表わしたのがこの漢字の由来だということでした。
Yさんは、太陽を表わす「日」と、お月様を表わす「月」を合わせて「明」だと思っていましたが、幼少時の月明かりの感動が、この説明から甦ったのです。
「月見」は、中国の風習が起源となり、平安時代に日本に伝わったとされています。先人たちが大切にしてきた慣習と、漢字の由来など、そうした面白さに思いを馳せて月を眺めれば、風情がさらに増すのではないでしょうか。
今日の心がけ◆物事の由来を調べてみましよう
ググると、昭和21年まで「朙」と書かれていたそうです。
それはともかくとして、”聖地巡礼”と言う言葉をご存知でしょうか。あの方々は超超、思いを馳せてますよねw 私も20年以上前に”めぞん一刻”を読んで東久留米に行った事があります。まだ”聖地巡礼”と言う言葉が宗教的な行為だった時代です。
事実だけを教養として書けば良いものを”指導”するなと言いたいんです。この本が我々を見下しているように感じる原因だと思います。
1+
たまにこういうのあるけどさ、、、朝礼で読んでるのを「聞かされる人」の事を考えてないだろ。
文章を音で聞いてると意味わかんないだよ。
面白いネタ見つけて、これだ!と喜んで書いた作文なんだろうけど、読んでる本人以外置いてけぼりとか、駄文の極みですな。
多いですねw
私が読む当番の時にも何回かありました。
その時は聴く人の事を一切配慮せずそのまま読んでます。どうせ聞いてないんだし。
月といえば団子
団子を目にはめ込み、あ~気持ちいい
朙の左側かー、偏と言って欲しい大人の感覚です。
けいはインターネット中国圏では「困り顔」として使われています。
中国の風習が起源の漢字でも、風情を感じているのは日本だけ。
車3つで轟です。
それはなぜか。
知りません。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1422764784
予想通りでした。
ありがとうございます!
こんなこと心がけて何になるんだよ。
ケツについたうんこをキレイに拭き取るのを心がけたほうが
よっぽど為になるわ。
だからなんだよと
職場も教養も関係ない
事あるごとに「思いを馳せる」を使いたがる筆者ですね。思いを馳せたところで何が変わるんですかね?先人達に感謝とかウザいんですよね。言われなくても分かりますよ。教養と言いつつ考え、価値観を押し付けてくるので嫌々読んでいる私や全社員は、毎回、不快な気持ちにさせられます。