2019/06/21 昔話から

「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました」
これは、昔話「桃太郎」の最初の一節です。Kさんは、小さい頃から「しばかり」とは、「芝刈り」だと、疑いもなく思っていました。ただ、〈芝を刈るのに、野原ではなくなぜ山なのだろう〉との疑問を抱いていました。
ある時、友人との雑談の中で、「しばかり」とは「芝刈り」ではなく「柴刈り」だということを知ったのです。「柴」とは、山野に自生する小さい雑木です。「柴刈り」とは、柴を薪にするために、その枝を切ったり集めたりすることです。
Kさんは、本当の意味を知り驚きました。そして、自分ではそうだと信じている事柄の中にも、実際にはまったく違うことがあるのだと、思い知りました。
この件で、〈わかっているつもりでも、そうではないことや、自分の思い込みから誤解していることが他にもあるかもしれない〉と、考えを新たにしたのです。
私たちも、疑問に思った時には、検証することが肝要です。

今日の心がけ◆知っているつもりはやめましょう

どうやって「本当に知っている」か「知っているつもり」なのかを見極めるんですか? 疑いも無く思っていたのに。

例に出した「桃太郎」だってあなたの思い違いで、本当は「芝刈り」かもしれませんよ。

中二的な事を言うなれば、この現実が映画インセプションの深い階層ではないという証明は出来ないですよ。

そもそも食堂でタブレットで注文が出来ないからとサービスが悪いだの店員が悪いだのと言うような本が、「知っているつもりはやめのしょう」ってどの口が言っているんだと、思うわけです。

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2 件のコメント

  • 昔話の本心なんて誰にもわからない。
    それぞれの解釈があって、それら全てが正解だと思う。
    管理者様が言うように、ほんとは芝刈りなのかもしれない。
    一番知ったかぶりをしているのは、糞本の作者と信者たち。

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