営業職のE氏は、取引先に車で向かっている途中で、渋滞に巻き込まれました。結局、先方と会えたのは約束の一時間後でした。
先方は何事もなかったように対応してくれ、商談は終了しました。E氏にとっても、その出来事はちょっとした失敗であり、それ以上でも、それ以下でもありませんでした。〈だってそれは渋滞のせい〉だったからです。
ところが、その後、取引先からの仕事が少なくなっていったのです。たしかに、渋滞が起こったことに対して、E氏に責任はありません。
しかし、移動時間が比較的確実な電車を選ぶこともできたでしょう。車でも、時間にゆとりを持って出発することも可能だったはずです。
生活をする中で、大なり小なり失敗と思えるような出来事は発生します。大切なことは、その原因をどのように捉えるかでしょう。
もし、遅刻した先で〈如何なる理由であろうと自分の責任だ〉と受け止めた時、E氏に対しての取引先からの見方も変わっていたかもしれません。
今日の心がけ◆失敗からも学びましょう
言ってる事は分かるが何かが違う。そんな生き方では人生が楽しくない。「いかなる理由であれ自分の責任」なんて自殺者も増えるはずです。
1+
「原囚」ではなく「原因」ですよね〜
ご指摘ありがとうございます。見落としていました。
修正いたしました。
「その後、取引先からの仕事が少なくなっていったのです。」と言っているが、渋滞以外にも他に原因あると思うし、
遅刻したのを謝らなかったり、開き直っていたりして、「渋滞のせいだから仕方ないよね。(威圧)」「あそこで渋滞するとは思わないし、許して(本心:俺は100%悪くない!!)。」という言い方してたかもしれない。(実体験)
この場合知らないけど。他の業者の方がよかったのかもしれないし。
でも「如何なる理由であろうと自分の責任だ」なんて考えかたブラックすぎる。