2017/10/25 思いやりの心 #職場の教養

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日々の生活や仕事を進めていく上で、自動車は欠かせない存在です。
運転する人が交通ルールやマナーをどう守っているかが、事故を未然に防ぎ、安全な社会生活を築く一番の大本といえます。
タクシードライバーのSさんは、常に安全運転に努めています。特に、信号機のない横断歩道を渡ろうとする歩行者には、細心の注意を払うといいます。
そうした状況で、歩行者が視野に入っても、歩行者を優先させることなく、そのまま走り抜けてしまうドライバーがいるのも事実でしょう。
Sさんは、横断歩道の近くに歩行者を見かけると、〈あのお年寄りが自分の父親や母親だったら、あの子供が自分の孫だったら〉と思うようにしています。すると、自然にブレーキに足がいき、優しく停車できるそうです。
同じ物事でも、自分自身や自分の身近な人に置き換えて考えることで、見え方が変わってくるものです。思いやりの心を忘れないためにも、別の角度から物事を見つめる習慣を持っておきましょう。

今日の心がけ◆人や物事を違う角度で見つめてみましょう

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ミクロな世界では思いやりをもって輪を乱さず、だれからも愛されてなんて最高じゃないですか。

でも実際は思いやりと言っても結局は、自分の身近な人に置き変えて考えないと実感できないわけですよ。ラピュタでムスカが言った「見ろ!人がゴミの様だ!」と言うセリフが有りますが、それが人間の本質なんです。

チェルノブイリの原発事故の時に政府が優先して避難させたのは若い女性です。子供より若い女性が優先されました。非常事態では冷酷でも合理的な判断をしなければいけない時が有ります。

この本では、挨拶をして、自分を押し殺してでも周りに合わせて、仲良くやっる事が良いと言っていますが、そのリベラル的な考えが結局はいざこざに繋がるんじゃないかなーって思う訳ですよ。相手は自分と同じ考えじゃないんですよ。軍事力が均衡している状態が戦争の確率が一番低いと言うように、力で相手を押さえつける部分も必要だと思いますがどうでしょうか。

 

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1 個のコメント

  • 信号機のない横断歩道で人影を感じたら車は停止しなければなりません。
    これが正しい。
    身近な人に置き換えなくても道路交通法として違反してはいけない。
    なぜ「人が渡ろうとしたら」ではなく「人影を感じたら」と言うかというと、私が唯一切符を切られた経験があるからです。
    その道路には並木が立っていて、人はそこに隠れていたからです。
    それ以来、信号機がない横断歩道では「人が隠れているかも知れない」かもしれない運転をしています。
    倫理法人会は「かもしれない運転」をやめていた時期がありましたが、考え方が甘いですよ。
    視野を狭くする奴が「違う角度で見つめて」なんて言っても、嘘だと思うだけです。

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