飲食店で、注文した料理がなかなか来ないことがあります。
その日のAさんがそうでした。注文したパスタが、いくら待っても出て来ないのです。しびれを切らして声をかけると、注文が入っていないとのことでした。
腹立たしさを抑えながら、再度同じものを頼んだAさん。〈もうここには来ないかもしれないな〉と思いながら、運ばれてきたパスタを食べ、席を立ちました。
すると、厨房からスタッフが出てきて、「先ほどは失礼致しました」と頭を下げたのです。他のスタッフも口々に「今日はお待たせして申し訳ありませんでした」「またお待ちしております」と声をかけてくれました。
この対応に、Aさんの気持ちは随分とやわらぎました。そして、「ごちそうさまでした」と、笑顔で店を後にしたのです。
このようなミスは、どこでも起こり得るでしょう。大事なのは、その後のお客様べの対応です。二度と来なくなるかもしれないお客様が、誠実な対応次第で、ファンになってくれるかもしれません。
今日の心がけ◆失敗を皆でフォローしましよう
一番優越感が高くなるのは、謝ってきた人を許すときですよw。
「許すか許さないかは、完全に自分の選択にかかっている。今回は、許してやるから、ありがたく思え」と、人を裁く神にでもなったような気になり、相手を完全に見下せます。
Aさんは次にその店に行ったときに、もし店員が自分の事を忘れていて普通の客のように扱われようものなら、マジ切れして帰るんですよ。だってその店では神ですから。
失敗した人を助けるのも同じです。自分の時間を犠牲にして優越感を選択したにすぎません。もしくは周りの目とか、お天道様が見ているとか、そう言う理由です。その時点でその人を助けた方が助けない場合より自分にとって得だと判断したためです。
完全に一切の損得感情無しで誰かのために何かをするってありますか?
募金や寄付だってそうですし、見知らぬ人に場所を教えるのも、自分の子供のためにでもでも、必ず損か得かを無意識に考えて得な方を選択しています。結果的には損かもしれませんが選択した時点では得と判断しているわけです。無意識にですよ。
いや違うと思う人は例をコメント欄に書いてみてください。
と考えると、「失敗を皆でフォローしましょう」なんていう三銃士を薄めたみたいな心がけを「分かりました」とは到底思えないのですがどうでしょうか。
ミスの原因を究明するべきなのかそうでないのか不明なままにしているのが職場の教養です。
今回はミスの原因は無視です。
Aは、ミスが飲食店にあると決めつけているが果たしてそうだろうか?
Aが注文したと思い込んでいたのかもしれない。
信者ならよくあることだろう。それを最初から人のせいにする。
飲食店側も原因究明せず謝罪している。
「注文が入っていない」と言う事実だけは明確になっている。
だから、Aが注文していないのだろう・・・と考えた方が自然だと思う。
反省すべきはAであるが、信者Aと信者の飲食店なら、きっとよくあることなのだろうと想像する。
今回の話は、職場の誰かがミスしても周囲の人間も無視しないでフォローしましょう・・・まぁ、そのままですがそう言うことです。
周囲の皆さんで協力してクレーム対応し、店長、経営者まで届くことのないようにしましょうってことですな。