漢字を含む日本語の熟語や読み方には様々な歴史があります。
例えば、「世論」という言葉は、「輿論(よろん)」として「輿」の字をあてていました。1946年に当用漢字が定められ、「輿」の字が制限され、「世」の字が用いられるようになり、その名残で「せろん」だけでなく「よろん」とも読まれています。
また、二字熟語は音読みか訓読み、どちらか一方で読むのが一般的です。例えば「正月」は音読み、「青空」は訓読みだけで成り立っていますが、中には音読みと訓読みが混在する熟語もあります。
「団子」「献立」は音・訓の順で読み、「野宿」「身分」は訓・音の順で読みます。前者は「重箱読み(じゅうばこよみ)」、後者は「湯桶読み(ゆとうよみ)」といいます。古くは湯桶読みだけでしたが、明治以降から重箱読みも使われ始めたようです。
日本語は、同じ言葉でも文脈や敬語によって意味や響きが変わる、柔軟な特徴を持つ言語です。時には母国語に興味を持ち、調べてみることで、日本語の使い方に新しい発見が生まれるのかもしれません。
今日の心がけ◆日本語に意識を向けましょう
曖昧さを排除せよと言ってみたり、それに興味を向けろと言ってみたり、言ってる事に一貫性がないのがなんともこの糞本らしいです。
感想例
事務・管理職向け
「言葉の背景を理解し、正確に伝える」
普段何気なく使っている言葉にも深い背景があるのだと気づかされました。 事務の仕事においても、社内で当たり前に使っている用語が、部署や人によって微妙に違う意味で捉えられていることがあります。そうした小さな認識のズレが、後々大きなミスに繋がることも考えられます。 これからは、言葉一つひとつの意味を大切にし、相手に誤解を与えない丁寧な確認と連絡を心がけ、円滑な業務遂行に努めたいと思います。
【感想要点】
- 普段使う言葉にも背景や変遷があることに気づいた。
- 社内用語の認識のズレがミスに繋がることがある。
- 丁寧な確認と連絡で、誤解のない業務を目指す。
技術・製造・現場職向け
「混在するルールを見直し、基本を大切にする」
ルールが混ざり合うことの危うさと面白さを感じました。 現場の作業でも、昔からの慣習と新しい手順が混在していると、思わぬミスの原因になることがあります。「本来はどうあるべきか」という基本の型を知っておくことは、安全や品質を守る上で非常に重要だと感じました。 作業手順書やマニュアルの言葉を曖昧にせず、誰が見ても同じ動作ができるような、明確で分かりやすい仕事を心がけていきたいと思います。
【感想要点】
- 手順の新旧混在はミスの原因になりうる。
- 「本来の型」を知ることが安全と品質を守る。
- 誰が見ても分かる、明確な仕事を心がける。
営業・サービス職向け
「相手に合わせた言葉の温度感を大切にする」
日本語は文脈や相手によって意味や響きが変わるというお話に、接客との共通点を感じました。 同じ商品をお勧めする場合でも、お客様の年齢やその場の雰囲気によって、選ぶべき言葉は変わってきます。こちらの意図だけでなく、相手がその言葉をどう受け取るかという「響き」にまで気を配ることが、信頼関係の第一歩なのだと感じました。 マニュアル通りの言葉だけでなく、その時々のお客様の心情に寄り添った、温かみのあるコミュニケーションを大切にしていきたいと思います。
【感想要点】
- 言葉の響きは相手や状況によって変わる。
- 相手がどう受け取るかを想像することが信頼に繋がる。
- マニュアルを超えた、心情に寄り添う会話を目指す。
本の紹介
日本語の作文技術 本多 勝一
本文では日本語の「柔軟さ」や「歴史的背景」を情緒的に肯定していますが、本書はその対極に位置します。著者は、日本語特有の「情緒」や「行間を読む」文化こそが、論理的な思考と伝達を妨げていると断じます。修飾語の順序や読点の打ち方など、徹底的に「誤解の余地をなくす」ための技術が解説されており、ビジネスにおける「曖昧な日本語」がいかに百害あって一利なしであるかを痛感させられる、実戦的な一冊です。

外国語に精通した人に向かって、たまには日本語に意識をむけ、歴史を振り返ってみましょうならわかる。単に「日本語に意識を向けましょう」と言い出し、それが職場の教養ですなどと言われても誰も振り向かない。
今回の「職場の教養」は、日本語の成り立ちや読み方の多様性を紹介しながら、日本語の「柔軟さ」や「味わい深さ」に目を向けようと呼びかけています。言葉の背景に歴史があり、文脈によって意味が変わる―その指摘自体は事実でしょう。
しかし、ここで語られる「日本語の豊かさ」は、職場という実践の場では、しばしば別の顔を持ちます。
曖昧な表現、行間に委ねられた意図、「言わなくても分かるはず」という前提。それらは柔軟さではなく、責任の所在をぼかす装置として機能してきました。
「世論/輿論」や重箱読み・湯桶読みの知識に親しむことと、仕事上の誤解や混乱を減らすことの間には、直接的な関係はありません。にもかかわらず、「日本語の奥深さに興味を持て」という精神論で締めくくられる点に、現場とのズレを感じざるを得ません。
ここで対照的なのが、『日本語の作文技術』(本多勝一)です。
本書は、日本語の情緒性や歴史的背景を評価する立場を、あえて取りません。著者が問題視するのは、日本語そのものではなく、「曖昧な日本語を良しとしてきた使い方」です。
・修飾語はどこにかかるのか
・主語と述語は対応しているか
・読点の位置で意味は変わっていないか
こうした点を徹底的に検証し、「誤解されない文章を書く」ことを技術として積み上げていきます。そこにあるのは美談ではなく、再現性のある思考と伝達の方法です。
この対比から見えてくるのは、職場で本当に必要とされる日本語の姿です。
それは、
・言葉の曖昧さを味わうことではなく、誤解の余地を減らすこと
・察し合いに期待することではなく、責任を明確にすること
・「日本語は難しい」という前提に逃げず、使い方を磨くこと
日本語の歴史に思いを馳せる余裕があるなら、まずは「伝わらなかったとき、誰が困るのか」を考えるべきでしょう。
本来の教養とは、言葉を愛でることではなく、言葉によって人を振り回さないための技術を身につけることです。
職場で求められる日本語とは、美しい日本語ではなく、責任が明確で、誤解を生まない日本語なのではないでしょうか。
エセ倫理で用いられる日本語は、同じ言葉でも信者が使うと一般的な意味や響きとは全く異なる悪質な下心を持つ言葉に変わります。
いろいろと有難いことを言っていますが、エセ倫理の大好きな「人の為」は偽とも書きます。
エセ倫理だけには限りませんが、「人の為」とか有難いことを常に連発して言っている人間はロクなのはいませんよ。
人とは、自分を指していますからね。
言ってる事とやっていることに一貫性がありませんよ。信者たちのように言っていることと真逆のことばかりしています。
この職場の強要で用いられている日本語も一般的な意味とは全く異なる悪質な文章ですから、騙されないようにしてください。
朝から講釈が始まり、身が引き締まる思いです。
今日の文章が、意識高い系のマウント取ってくる方に刺さると良いですね!
知らんけど?
こんな日本語も大切にしないとね 草草草