その人や物事の一面だけを見るだけでは、気がつかないこともあります。
例えば、自分自身のことはどのように見えているでしょうか。長所や短所、癖や考え方など、人に言われて初めて気づく場合があるかもしれません。
中には、自分の短所ばかりが気になり、自分を好きになれないという人もいます。その場合には、家族や友人などに自分の長所を見つけてもらうことも、自分を知るうえで効果的です。
また、自分の身に起きる物事についても、一時の感情で判断するのではなく、様々な視点から考えることを意識しましょう。
日々の生活の中で、失敗したり、思い通りにならなかったりすることは必ずあります。そうなった時に、ただ落ち込むだけでなく、その中でも次につながる要素を考えられるかどうかで、その後の行動や結果が変わってくるはずです。
人や物事に対しても、視点を変えてみる、誰かの意見を参考にするなど、様々な角度から考えることで良い部分に気づけるのではないでしょうか。
今日の心がけ◆様々な角度から考えましょう
自己否定させ組織に依存させる戦略なんでしょうか。それとも読者は自己肯定感が低い人が多いという設定なのでょうか。
この本では登場人物や読者が、よく失敗したり、自己肯定感が低いとか、自分の思うようにならない人の設定が多いですが、何回も同じ事を読ませる事で、「もっと自己改善が必要」という認識を刷り込んでないですか? それを心理学用語で「認知の歪み」と言うようです。
まずですね、先輩とか他人に頼る前に自分で考えてみたらどうですかね。
感想例
自分でも、失敗したときに自分ばかりを責めずに、他の角度からも考えてみることで、思いがけない気づきが得られるかもしれないと思います。特に職場では、意識的に様々な視点から物事を見つめる姿勢が大切で、他の人の意見にも耳を傾けてみたいと思います。
視点を変えるのなら、信者という立場ではなく、非信者という立場で倫理法人会を考えてみたらどうだろう。考えが変わらないようなら、職場の教養の存在意味はない。
今日の心がけも倫理法人会に言われたくない。まずはお前らがいろんな角度から考えろということです。信者という角度から考えれば、倫理法人会の主張は正しいのでしょう。しかし、信者以外の人(退会した奴隷会員や幽霊会員なども含む)の角度から考えれば倫理法人会の主張は正しいとは思えないものが多々あります。まずは倫理法人会自体が、いろんな角度から考える必要がありますが、倫理法人会自体は考えません。
例えば、本部が任命したスーパーバイザーや県会長が正しいと考えたいのはわかりますが、実際にこれらの人が権力の範囲外(行事や会場外)で起こした問題がクレームになっているのであれば、別の角度から考えられる団体であれば本部から被害者に対して「気に入らないなら辞めろ」の回答はないはずです。しかも、権力外の度の過ぎすぎる内容でしたのに。別の角度から考えられることができる団体であれば「本部の前では猫を被っているだけで、倫理とはほど遠い人を運営者として選んでしまったのかもしれない」という見方もできるはずです。しかし、そのような考え方はしません。クレームの返答すら本部の任命した人間にお任せ。
今日の内容は倫理法人会には、読者に自己肯定感など認めないという設定です。もちろん、社畜に限らず、奴隷会員も含みます。目下の者には必要以上に自己否定させて、信者の言うことを聞くように仕向けるだけです。例えば、モーニングセミナーの時に座る席など指定される筋合いはないですが、座る席が気に入らないと、会員スピーチの場で、スーパーバイザーにさらし者にされました。なぜ、座る席が気に入らないだけで、そこまでするの?と。信者の意見を参考にすると自分が悪い事をしているように感じます。
今日の内容も、倫理法人会の定番である言っていることとやっていることが真逆というケースでした。倫理法人会や活力朝礼に対して、一面だけを見て推奨している団体に言われたくない。そして、職場の教養に関しては、信者と社畜、信者と奴隷会員という関係だけに限定して書かれているのもよくわかります。