2024/10/27 樹を植える読書

Kさんは、職場の先輩であるYさんと、経済や社会、業界のことなどについて時折、歓談することにしています。ある時、話題が読書のことになり、Kさんは、どんな本を読んだらよいか、Yさんにアドバイスを求めました。
「知識や情報を得るための読書も必要だが、それは樹を植えないで実だけを得ようとするものではないだろうか」と語り始めました。
さらに、「これからは、樹を植える読書、つまり、物事を根本から考えさせられるような書物を読んで、自分の奥深い所から、自らの言葉で語れるような考えを身につけることも大切だと思う」とYさんは自らの読書観を伝えたのです。
Kさんは、これまでの自分の本との向き合い方を見透かされたのではないかと恥ずかしさを覚えましたが、「樹を植える読書は、仕事や生き方に必ず反映して、良い影響を与える」という言葉に励まされ、自分も実践しようと決意しました。
Yさんとの歓談の後では、Kさんはいつも、もっと前へ進もうという気持ちになって、心が弾んでくると言います。

今日の心がけ◆読書観を持ちましょう

この本全般に言える事だと思いますが先輩一人の意見のウエイトがデカすぎると思うんですよ。
先輩は教祖じゃないと思うんですけどねー。
その先輩と同じになりたいんだったらいいと思いますけど・・・。
それって教祖の力にあやかって不安から助かりたいという意思があるから信奉するだと思うんですよ。自分が良ければそれでいいと言う意思の表れじゃないかと思うんですよね。しかも楽をして。
自分の意見を持ってその意見にについてどう思うかと言う話に持ってった方が良いと思うんだけどなー。
ちなみに読書のお勧めは断然SFです。

感想例
私はこれまで、知識を得るためだけの読書が多かったと反省しました。これからは物事を根本から考える読書を心がけ、自分の言葉で語れる力を身につけたいと思います。仕事でも自分なりの考えを持って取り組めるようになりたいです。

1+

4 件のコメント

  • この職場の教養は信者が社員を社畜化するためのツールです。そんなものを強制的に読まされて、感想を発表させられる。それを読書観とは言いませんよ。信者向けには万人幸福の栞がありますが(職場の教養よりはマシ)。

    倫理法人会では、役職者や先輩信者は基本的に教祖です。県単位ではスーパーバイザーが教祖。某県のスーパーバイザーは講和で「●●(自分の名前)教だ」と主張していましたよ。奴隷の分際で本部にクレームを入れた、私への嫌がらせの意味も含めて。そして、信者会員の会社で働く社員にとっては、信者社長は教祖です。

    信者は、自分が良ければ、奴隷会員や下っ端会員、社畜はどうなってもいいと言う心しか持っていませんよ。職場の教養は、そんな信者連中が好むように社員を社畜化するための内容になっています。これは洗脳ツールです。洗脳ツールを持って、読書観を持たないように気をつけてください。

    8+
  • 読書とは自分が読みたい本を読むこと。自分が読みたい本を人に聞くと言うのは理解できない。本来の読書好きは、古本屋とか図書館とかへ行って、中身を覗き込み、自分の感性に合う本との出会いも楽しむものだと思う。取って付けたような綺麗な言葉を並べて読書感とする薄っぺらいアドバイスなど聞かなくて良いと思う。自分の感性に従うことの方が人生を楽しく過ごせる。

    1+
  • 何を読もうが本人の自由だろ
    いい歳こいたオッサンが自分で自分の事も決められないのかよ
    本の内容よりも自分が読む本も自分で決められず職場の教養を読まされてる人に自分の考えに誘導してる方が非常に問題だ

    1+
  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)