2017/8/2 「型」を尊ぶ #職場の教養

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武道や芸道に「型」はつきものです。例えば書道では、筆の持ち方や墨をする作法がまさしく型であり、その習得こそ、稽古の中心テーマでしょう。
型の習得は退屈な行為かもしれませんが、その繰り返しこそ、型に込められた精神をわがものとする、貴重なプロセスです。
型が決まっている人は、とても美しいものです。それは、様々な世界で、一流といわれる人の所作を見ると頷けるでしょう。
メジャーリーグで活躍するイチロー選手が、バッターボックスでバットを構えるまでの一連の動作は、それだけでファンを惹きつけるほど、独特の型となって輝きを放っています。
何よりも、その流れるような所作の美しさは、型に込められた精神の美しさともいえるでしょう。
型にこだわり続け、型が芯から輝きを放つまで、磨き高めていく。それが修練なのだと、イチロー選手の美しい所作は教えてくれているようです。

今日の心がけ◆型を大切にしましよう 

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「型にはまらない自由な発想」と言ってみたり、今回のような事を言ってみたりと、書く人によってバラバラなんですよ。

分かりますよ。その場の状況に合わせて、何事もバランス良くこなす事が大事だと。

でも、俺の思ってる事をおもんばかれという上司が大っ嫌いなんですよ。それと同じで文章にして全国に配るんだったら、筋を1本にしろと言いたいわけです。

 

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1 個のコメント

  • ここで言う「型」と言うのが何なのかはっきりしません。
    空手で言う「型」と言うのは、昔から同じで毎回同じですよね。
    体操の演技もそうでしょうか?
    絶対にブレない。

    イチローの一連の動作は彼独自であり独特の「型」と言えるならば、一般人のルーティンも広い意味で「型」と言えるはずです。

    筆者は「流れる所作」とか「精神の美しさ」とか「型」関係なくなっている気がします。
    イチローだって、結果を出すルーティンとしてあの「型」となったわけで、あの「型」を編み出した結果が数字になっているわけではないと思いますよ。

    「型」にはまらない自由な発想で新たなルーティンを発見して、それが「型」だったと言うなら、何でも「型」じゃんと言うお話です。

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