2022/09/02 天王山の戦い

ビジネスシーンやスポーツの試合等で、大事な場面や勝敗の分かれ目となる局面を「天王山」と言います。この言葉は、ある戦いが由来となっています。
それは一五八二年(天正十年)六月二日、本能寺の変で織田信長が、家臣の明智光秀に討ち取られたことに端を発します。
その知らせを聞いた、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は中国地方で交戦していた毛利輝元と和睦を結び、主君の仇を討つため踵を返し、京を目指します。
秀吉はわずか十日ほどで戻り、現在の京都と大阪のほぼ中間地点にあたる山崎の地が、天下分け目の合戦の舞台となりました。
その場所が天王山の麓にあたり、この戦で勝利した秀吉が、その後天下統一を成し遂げていくことから、重要な戦いや局面が変わる場面を「天王山」や「天王山の戦い」というようになったのです。
業務の中でもここぞという場面に出くわすことがあるでしょう。その際は何のためにこの業務をしているのか再確認し、集中して取り組みたいものです。

今日の心がけ◆集中して取り組みましよう

後から考えればあの時が・・・ってなるもんじゃないの?

3+

6 件のコメント

  • やっぱりアホ集団www
    ここぞという場面のときに、何のためにこの業務をしているのかをそこで再確認するんですか?w
    再確認しておいてここぞという場面のときにすぐ動けないとダメではないのですか?w
    これだからアホ信者には関わりたくないのですよ!!

    4+
  • 信者でも「ここぞ」というときがあるんですか?
    その際は、何のために倫理法人会へお布施をしているのか、何を言いたいのか分からないような講義をなぜ受けているのか再確認し、ハッと我に返って人生やり直しなさい。

    5+
  • 秀吉は、上司(信長)から指示されたことを途中で勝手に投げ出して、
    勝手に戻ってきた戦いでしょ?

    今日の心がけは【集中して取り組みましよう】だけど、
    話の中の秀吉は戦いに集中してないよ。

    3+
  • ただの結果論
    後になってから「あの時はあーだった、こうだった」と言ってるだけ
    いつ天王山になるかその時には分からないのだから常時集中して取り組まなければならなくなる
    つまり「天王山の戦い」は関係無い
    筆者が歴史的知識が有る事を自慢したいだけの駄文

    4+
  • 今日も何が言いたいのかさっぱりわからん!!
    筆者がバカなのか、自分がバカなのか・・・。

    1+
  • なに?
    今日は、大好きな歴史の話をしたかったの?
    天王山の説明がしたかったの?
    幸せボケの筆者さん。

    1+
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