江戸時代後期の農政家で思想家の二宮尊徳は、門人である福住正兄が経営する宿を訪ね、温泉につかった際に以下のように言いました。
「風呂のお湯を、手で自分の方へかき寄せれば、みんな向こうの方へ流れていく。逆に向こうの方へ押してみると、こっちに流れてくる。これが世の道理である」。この話は、『たらいの水』の例話の基となりました。
これは、人のためにと思って慟くことが、結果的に自分に金銭や幸せとなって返ってくることを教えています。私利私欲に走るのではなく、献身的に働けば、いずれ自らに還元されることを示しています。
たとえば、書類の作成の際、どのようにしたら見やすくなるかなど、相手側に立って考えれば、日常の業務も今より建設的なものとなります。
お客様が喜んでくれる仕事をすることで、自分の働きにも磨きがかかり、やりがいも出てくるでしょう。
人の喜びが自分の喜びとなるように、働いていきたいものです。
今日の心がけ◆身近な人を喜ばせる働きをしましよう
でもそれって、結局自分のためなんでしよ?
2+
今日も荒れそうwワクワク
身近な人を喜ばせたいなら、こんなゴミみたいな小冊子の読み合わせと倫理研究所との付き合いを止めることが一番。
お砂場の砂を自分の方へかき寄せれば、立派な山が出来ますが何か?
ですよね。
お湯は戻ってきても増えないよねー、馬鹿だねー。
砂はかき寄せれば山になるんだよ。
自分の為に集めれば増えるんだよ。人の為なんかに努力しても何も増えないんだよ。
ズバリ、管理人さんの言う通りです。
この話をおかしいと思わず肯定するのがバカな信者なのです。
結果的に自分に金銭や幸せとなって返ってくるから、人のためにと思って働きなさい…でしょ。
いずれ自らに還元されるから、献身的に働きなさい…でしょ。
それって、私利私欲に他ならない。
信者って単純な言葉の魔術(と言うほどでなく、単に言葉の順序を変えているだけなのに)に騙される単純バカなのです。
また、「たとえば」からの話は「還元される話」ではない全く別の種類の話です。
人の喜びが自分の喜びとなるように働くと、何が還元される?
ピントずれている。
結局、自分のため、私利私欲の方法を言っているだけだが、信者は文章を理解できないからこんな文章でも成立するのです。
キターーーーーw
他人の喜び=自分の幸せ、自分磨きwww
だったらこのクソ本も無料で配ったら?
無料でもこんなクソ本いらんけど!www
利益や対価を求めて行動するのは当たり前のことだろうに
筆者は労働をボランティアだと思ってんのか?
さもいい事の様に言ってますが、そうは言っても実際は違うでしょ?
お湯は押せば帰ってくるかもしれないが、元の量から増える事はない。
この話から言えば人のために何かをしてもプラスになることは無いという事になる。
そうじゃなくて最初から人のためではなく自分の為に砂をかき寄せれば自分の前に山となって集まるでしょ。
仕事はボランティアでやってる訳ではなく、自分の為、お金の為生活の為にやっているのであって、職場の教養はその根本が抜けていて、人の喜ぶことをしろだとか、働く喜びを感じろとか言ってくる。
自分が満たされてから人の為になる事を考えればいいのであって、初めから人のために何かをさせる事が間違っている。
何のために働くのですか?人のため?それは二の次でしょ?
自分のため、生活を維持するためとか、お金をもらうために働くのでしょ?
「身近な人を喜ばせる働きをしましょう」なんて、宗教的なきれいごと、ムカつくんだよ!
そんな慈善事業は、アホな信者がやれ!
人の喜びが自分の喜びとなるようにだと?
おまえは、喪黒福造か?