2017/2/9 役に立つ喜び

千葉県のある少年院では、入所中の少年が捨て犬をしつけ、訓練するプログラムが行なわれています。殺処分される犬を訓練して、家庭に戻すことを通じて、命を大切にする心や忍耐力を養うのが狙いです。
なかなか言うことを聞いてくれない犬に、少年たちはとまどいながらも、根気強くしつけと訓練を繰り返し、信頼関係を築いていきます。
義父から暴力を受けて育った少年は、しつけがうまくいかない時も、犬に自分を重ね、手を上げることはありませんでした。そして、このプログラムを通じて、
「殺処分される命を助けることができ、初めて誰かの役に立てた」と語ります。
私たちが日々仕事をする上で、「誰かの役に立っている」と実感できることは少ないかもしれません。
しかし、どのような仕事でも、人や社会から必要とされ、役に立つからこそ成り立っています。そのことを自覚した時、働く喜びが生まれ、現在行なっている仕事に、さらに情熱を持って取り組むことができるでしょう。

今日の心がけ◆仕事の意味を自覚しましよう

仕事に情熱を持って取り組む事が良い事だという考えは、日本的と言うか神道的と言うそんな感じです。キリスト教では、働くことが罪です。働くのはキリストを信じない者と奴隷で、信じるものは、それらの管理をするんです。神道的には仕事は楽しいんです。現世に遊びに来ている感覚です。

色々な考えがありますから、少なくとも仕事に情熱を持って取り組む事が良い事と言い切って押し付けるのはあまりにも傲慢ではないでしょうか。

みんなが、勤勉で、情熱的で、だれかの役に立っている事を自覚し仕事に取り組んでてる状況を想像すると、人間的な感じがなく、なんだか空虚な感じがするのですが私だけでしょうか。

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1 個のコメント

  • 「「殺処分される命を助けることができ、初めて誰かの役に立てた」と語ります。」
    これは、おかしな話です。
    誰かって誰ですか?

    殺処分をする担当者ですか?
    それとも、まさか、その犬を捨てた元飼い主ですか?
    犬の命を救ったけれど、誰かの役に立ったわけではありません。

    今回の文章は、飼い主(経営者)の役にたてと言うことでしょうか?
    いつもで我々を切ることのできる経営者に対して、「どのような仕事でもします。人や社会から必要とされて、役に立てられたら幸せです。」とでも言わせたいのでしょうか?

    職場の教養の内容に疑問を持ち、自分自身のための仕事の意味を確認しましょう。

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