2018/05/14 体で学ぶ

旅行が趣味のYさんは、休日を利用して、しばしば一人旅に出ます。Yさんが鹿児島県にでかけ、南さつま市にある竹田神社を訪れた時の事です。
竹田神社には、島津忠良公が詠み、薩摩藩の御中教育の基本精神となった「日新公いろは歌」四十七首の石碑が立ち並んでいます。この歌の始まりは「い」から始まる、次の歌です。
いにしへの 道を開きても 唱へても わが行ひいに せずばかひなし
これは、「昔の立派に教え聞き、口で唱えても、実践しなければ役に立たない」という意味です。Yさんは、知識としてこの歌を知ってはいたものの、石碑と対峙し、改めて文言を噛み締め、心を新たにしたのです。
現代はインターネットの発達により、情報をすぐに入手出来るようになりました。しかし、場の空気に触れ、実際に見聞きする感動は、画面や文字だけでは得られるものではありません。
体験を通しての感動は身にしみ、その学びは身につくのです。

今日の心がけ◆体感して感動を得ましょう

ディスりパターン1

また爺の「昔は良かった」話ですね。

この本を書いている著者はスマートフォンとかインターネットとかを批判しがちです。

場の空気にふれ、実際に見聞きする感動を得られる様に日々開発が進められているVR。
きっと映画のアバターやインセプションの様に現実と虚構の境目なんか曖昧になりますよ。

そもそも、現実なんて脳がそう認識しているだけで、虚構を現実だと認識したらそれは現実ですよ。

「漫画と現実の区別がつかなくなって犯罪を犯した」という事件をたまに目にしますよね。その時点でその人にとって漫画は現実なんですよ。

虚構を現実では無いと考える必要がありますか? そもそも、この現実が虚構では無いと言い切れないのにですよ。

ディスりパターン2

・勉強しても実践する勇気が無かったら意味が無い

・インターネットで調べたものと現場に行って実際の物に触れるのでは後者の方が身につく

という事を絡めて書きたかったのに上手く絡めてないし、そもそもあまり関係が無いという事でしょうか。
技術の進歩に付いていけない老人の「昔は良かった」「昔は苦労した」話にしか見えません。

その手の「昔は良かった」「昔は苦労した」話をする人は、自分の人生のスパンでしか物事を考えておらず、それ以前の人類が積み上げてきた技術の上に今の自分がある事に気がついていないのでは無いかと思えます。

簡単な例で示せば、「インターネットで調べるより現場に行ったほうが身につく」という著者の意見にたいして、もし150歳の人が存命であれば、「新幹線や飛行機で現場に行くより自分の足で歩いていったほうが身につく」と言うでしょう。250歳の人が言えばまた変わってきます。

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1 個のコメント

  • 内山田陰陽石(立神)、南さつま海道八景、加世田麓の武家屋敷群、亀ヶ丘、金峰山、磯間嶽、野間岳、長屋山、双剣石、吹上浜など、もっと見る所あるでしょ。www

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