Yさんには歳の離れた兄がいます。その兄が結婚して男の子が生まれました。近所に住んでいたYさんは、甥にあたる兄の長男をとても可愛がっていました。
数年後、働き始めたYさんは、毎年、甥の誕生日にプレゼントを贈り、喜ばれていました。それから10数年後、今度はYさんが結婚し、男の子を授かりました。その時、すでに甥は社会人として働き始めていました。
Yさんの長男が1歳の誕生日に、甥は従兄弟にあたるYさんの子供に誕生日プレゼントを贈り、それは毎年の恒例となりました。Yさんの長男が3歳になった時、長男は甥に何度も「ありがとう」と嬉しそうに伝えました。
Yさんからもお礼を述べると、甥は「叔父さんにはお世話になったからね。こちらこそ、いつもありがとう」と笑顔で答えてくれたのでした。
Yさんはその笑顔を見て、甥が幼かった頃、笑顔で「ありがとう」と言ってくれた姿を思い出し、温かな気持ちに包まれました。甥の笑顔を見ながら、これからも感謝の気持ちを声に出して周囲の人に伝えていこうと思ったのでした。
今日の心がけ◆「ありがとう」の輪を広げましょう
良いんだけど、正当な対価という形で労働への感謝を示すのが筋だと思うぞ。
感想例
事務・管理職向け
本日の文章を読み、日頃の感謝を言葉で伝える大切さを改めて実感いたしました。私は事務の仕事で不慣れな点が多く、他部署の方に助けていただく機会がよくございます。その際、つい申し訳なさが先に立ち、お礼が短くなってしまうと反省しております。これからは、業務を円滑に進めてくださる周囲への感謝を、しっかりと声に出してお伝えしたいと思います。小さな感謝の積み重ねで、少しでも職場の信頼関係を築けるよう努めてまいります。
- 助けてもらった際の感謝をきちんと言葉で伝える
- 申し訳なさよりもお礼をしっかり声に出す
- 小さな感謝の積み重ねで職場の信頼関係を築く
技術・製造・現場職向け
感謝の気持ちが巡るというお話は、現場での作業にも通じると感じました。私は手際が悪く、前後の工程の方々にフォローしていただくことが多くございます。当たり前のように安全に作業ができるのも、見えない所で支えてくださる方々のおかげだと気付かされました。これからは、部品を揃えてくれた方や、次に作業をする方への感謝を忘れず、「ありがとう」と声に出してお伝えしたいと思います。感謝を込めた丁寧な作業で、品質向上に貢献してまいります。
- 現場での作業も周囲の支えと感謝で成り立っている
- 前後工程や見えないサポートへの感謝を忘れない
- 感謝を声に出し丁寧な作業で品質向上に貢献する
営業・サービス職向け
感謝が時を経て返ってくるというお話に、接客の仕事に通じるものを感じました。私は経験が浅く、お客様から厳しいご意見をいただくと、つい笑顔を忘れて余裕をなくしてしまうことがございます。しかし、当店に足を運んでくださったことへの感謝こそが、一番大切だと反省いたしました。上手なご説明はできなくても、まずは「ありがとうございます」と心からの笑顔でお伝えしたいと思います。その感謝の積み重ねが、お客様との信頼につながると信じて頑張ってまいります。
- 厳しい意見を受けても来店への感謝を忘れない
- 上手な説明より心からの笑顔でありがとうを伝える
- 感謝の積み重ねがお客様との信頼関係につながる
本の紹介
やりがいのある仕事という幻想 森博嗣
「ありがとうの輪を広げて気持ちよく働こう」という本日の文章に対し、「仕事に感情的な見返りを求めることの危険性」を突きつける一冊です。著者は、仕事に対して「やりがい」や「感謝される喜び」を過剰に求める現代の風潮こそが、人々を苦しめ、労働力の搾取を許す原因になっていると指摘します。「ありがとう」という言葉で労働の価値を誤魔化そうとする本日のような精神論を、根本から否定する内容です。「誰かのために」「感謝されるために」と頑張りすぎて、心身ともに疲れ果てていませんか?本書は、そんな「やりがい搾取」の罠から抜け出し、もっとドライに、そして自分らしく働くための視点を与えてくれます。会社が押し付けてくる「ありがとうの強要」に違和感を覚えている方にとって、仕事と感情を切り離し、自分の生活を守るための強力な防具となるはずです。やりがいや感情の押し売りに疲れた方にこそ、ぜひ手に取っていただきたい名著です。

あまり言いたくないんだけど、中学生が書いた課題図書の感想文の方が、遥にためになるぞ。
明らかに、年寄りが書いた文章だってわかる。思考のレベルが低すぎる。マジで感想当番気の毒。
業務が忙しいところで朝礼を始める。
そして、今日の心がけ「ありがとうの輪を広げよう」って、人を馬鹿にしているのかって多くの人が思う。
本日の「職場の教養」は、「ありがとう」の連鎖が人を温かくし、社会を良くするという物語です。確かに、感謝を言葉にすることは尊い行為です。人間関係において、感謝の表明は信頼を育てます。しかし問題は、それをそのまま「働くこと」に接続してしまう点にあります。
森博嗣氏は、仕事に「やりがい」や「感謝される喜び」を過度に求める風潮こそが、労働者を追い詰める構造をつくると指摘します。「ありがとう」と言われることが働く意味になるとき、報酬や労働条件といった本来議論すべき現実的問題が後景に退きます。
感謝は尊い。しかし、それは対価ではありません。もし職場で、「誰かのために」「感謝される喜びのために」「ありがとうの輪を広げよう」と繰り返されるならば、それはいつの間にか「もっと頑張れ」という無言の圧力に変わります。
本来、労働とは契約です。時間と能力を提供し、その対価として報酬を受け取る。そこに過剰な感情的意味づけを持ち込むと、「ありがとう」を盾にした無償の奉仕が美徳化されます。「感謝されたい」という気持ちは人間として自然です。しかしそれを組織が利用するとき、感謝は美徳ではなく統制の道具になります。
本日の物語は家族間の善意の循環です。それは私的領域では確かに美しい。しかし職場は家族ではありません。職場で必要なのは、感謝の強要ではなく、誠実な契約、適正な評価、透明な責任の所在です。「ありがとう」を広げる前に問うべきは、その職場は、感謝がなくても正当に機能する仕組みになっているか、ということではないでしょうか。
感謝があるから働くのではない。働いたから正当に報われる。その土台があってこそ、「ありがとう」は自由な言葉になります。もしその土台が曖昧なまま「ありがとう」が掲げられるなら、それは美しい理念ではなく、労働を感情で包み込み、見えにくくする装置になり得ます。
感謝は強制されるものではない。やりがいも押し付けられるものではない。まず守るべきは、自分の生活と尊厳です。その上で自然に生まれる「ありがとう」だけが、本当に価値のある言葉なのだと思います。
「ありがとう」の輪を広げましょう?
エセ倫理が広げているのは不幸の輪でしょうが。目下の者を人とも思わずに徹底的にコキ使ったり、いじめたり。
もしくは迷惑の輪。普及活動期間中の1日3回のFAXなど迷惑そのもの。度が過ぎているのレベルを超えている。
もちろん、活力朝礼も不幸、迷惑の輪の1つです。感想を言わされて、感想が気に入らないとさらしものにされたり。
不幸や迷惑の輪を広げている奴らがありがとうの輪?
人に不幸や迷惑をまき散らしても、エセ倫理や信者にありがとうと言われるような貢献をしろとでも言いたいのか?
ちなみにエセ倫理の世界では管理人さんのいう正当な対価という形で労働への感謝を示すことは絶対にありえませんよ。
世間一般では正当な対価といわれるものでも、エセ倫理の世界では目下の者の労働は倫友価格の給与でも多過ぎると判断されます。
それに世間一般では100万レベルの仕事を、エセ倫理の世界では10万円程度で発注することもザラにありますよ。もちろん、目下の者限定ですけどね。
そして思うような成果が出ないと、その10万円すら値切ります。
逆に目上と見なした者の倫友間の取引では、安く値引きしたり、逆に発注価格を相場よりもプラスアルファしたりしています。
エセ倫理はありがとうの輪を広げるよりも、人を不幸にすることを減らすことを指導すべき団体ですよ。