日常における様々な事柄に対する「遣い方」(または「使い方」)は、その人の人柄を映し出します。物の使い方に始まり、時間の使い方、色遣い、金遣い、さらには言葉の遣い方に至るまで、その人の心が表われます。
物をぞんざいに扱う人は、他人への接し方にも粗さが見えることがありますし、時間を守る人は、他のことにも順序立てて取り組む誠実さを持っています。
また、色遣いが豊かな人は、華やかで明るい心を内に秘め、物の使い方が豪快な人には大らかさが感じられることもあります。
怒りや焦りなどマイナスな感情が強ければ、自然とその心は言葉や態度、行動にもにじみ出てしまいます。反対に、明るさや朗らかさといったプラスの感情が強ければ、周囲に良い影響を与えてくれます。
つい「自分の行動は自分だけのもの」と錯覚しがちですが、心のあり方やその表われ方は、知らぬ間に周囲へと伝わっています。
日々の小さな場面で、自分の心の遣い方を振り返ってみたいものです。
今日の心がけ◆周囲への思いやりを振り返りましょう
人手不足や無茶なノルマ、給与といった労働環境を放置し個人の「マイナスな感情」の問題にすり替え精神論でごまかそうとしている。まさに責任転嫁。
感想例
事務・管理職向け
今日の文章を読みまして、日々のちょっとした物の扱い方や言葉の選び方が、職場の雰囲気を大きく左右するのだと改めて気づかされました。私は普段、自分の仕事で手一杯になり、つい焦りが顔や言葉に出てしまうことがあります。これからは、書類の渡し方ひとつ、電話の受け方ひとつをとっても、相手への気配りを忘れないよう心がけたいと思います。まずは、毎朝の挨拶を少しだけ明るくすることから始め、周囲の方々と信頼関係を築いていきたいと考えております。
- 物の扱いや言葉選びが職場の雰囲気を作る
- 焦りを態度に出さず気配りを心がける
- 明るい挨拶から信頼関係を築いていく
技術・製造・現場職向け
日常の振る舞いに心が表れるというお話でしたが、これは私たちの現場での作業にもそのまま当てはまると感じました。道具を乱暴に扱ったり、作業の手順を少しでも省こうとしたりする気の緩みが、やがて大きな事故や不良につながってしまうのだと思います。私自身、慣れた作業ほど確認がおろそかになりがちなので、反省いたしました。これからは、一つひとつの道具を大切に扱い、基本に忠実な作業を積み重ねることで、安全で確実なものづくりに貢献していきたいと思います。
- 日常の振る舞いは現場の作業態度に直結する
- 道具の扱いや手順の省略が事故を招く
- 道具を大切にし、基本に忠実な作業を心がける
営業・サービス職向け
心のあり方が言葉や態度ににじみ出るという内容に、とても身が引き締まる思いがいたしました。お客様と接する際、自分では隠しているつもりでも、少しの疲れや焦りといったものは、表情や声の調子を通して必ず伝わってしまうものなのだと気づかされました。口下手な私ではありますが、言葉でお伝えする前に、まずは相手の立場に立った思いやりの心をしっかりと持ちたいと思います。そして、温かい態度でお客様に安心していただけるような対応を目指してまいります。
- 心のあり方は表情や声を通してお客様に伝わる
- 疲れや焦りを態度に出さないよう注意する
- 相手を思いやる温かい態度で安心感を提供する
本の紹介
管理される心:感情が商品になるとき A.R.ホックシールド
この本は、「プラスの感情で周囲に良い影響を与えろ」と説く本日の文章に対し、真っ向から冷や水を浴びせる社会学の名著です。「心や感情のコントロール」が職場で求められること(感情労働)が、いかに労働者の心をすり減らし、企業によって搾取されているかを鋭く指摘しています。個人の「心の遣い方」の問題ではなく、それを強要する社会構造の残酷さを暴いている点で、本日の文章の前提を根底から覆しています。「いつも笑顔でいなきゃ」「職場の雰囲気を悪くしちゃいけない」と、自分の本当の感情を押し殺して働くことに少しでも息苦しさを感じたことはありませんか?本書は、あなたが感じているその「しんどさ」の正体が、単なる性格の問題ではなく、企業による「感情の搾取」であることを論理的に解き明かしてくれます。精神論で社員を縛り付けようとする職場の同調圧力にモヤモヤしている方にこそ、自己防衛のための理論武装としてぜひ読んでいただきたい一冊です。読後には、無駄に心をすり減らすことへの見方が180度変わるはずです。

信者たちの目下の者に対する接し方を見ればエセ倫理がどんな団体か見えますよ。
もちろん、この職場の強要の内容からもね。
お前らこそ周囲への思いやりを振り返りましょう。
「心の遣い方は人柄を映す」という主張は、一見すると自己反省を促す穏やかな教えのように見える。しかし、この言葉が職場という権力関係のある場で語られるとき、その意味は大きく変質する。
人手不足や過剰な業務、達成困難なノルマ、低賃金といった構造的問題を放置したまま、「怒りや焦りは心の問題だ」「プラスの感情で周囲に良い影響を与えよ」と説くのであれば、それは問題の本質を個人の内面へとすり替える議論である。
怒りや不満は、必ずしも未熟さの表れではない。むしろ、それは理不尽な状況に対する自然な反応である。過酷な労働条件の中で生まれる疲弊や焦燥を、「心の遣い方」の問題として矮小化するならば、それは組織の責任回避にほかならない。
社会学者アーリー・ラッセル・ホックシールドは『管理される心』の中で、企業が労働者の感情そのものを管理し、商品化する「感情労働」の構造を明らかにした。そこでは、笑顔や朗らかさは自発的な徳目ではなく、業務として要求される「役割」となる。内面の感情を抑え、望ましい態度を演じ続けることは、確実に心を消耗させる。
「自分の行動は自分だけのものではない」という指摘は確かに一理ある。しかし同時に、職場環境もまた個人の心に強く影響を与える。心は真空の中で存在しているのではない。環境が人をつくるのである。
本当に問われるべきは、個人の心の遣い方よりも、そうした心を追い詰める構造そのものではないだろうか。
プラスの感情を強いる前に、怒りや焦りが生まれにくい職場をつくる責任は誰にあるのか。その問いを避けたまま「心の在り方」を説くことは、倫理ではなく精神論である。