令和8年が始まりました。この1年をより良いものにするため、また自身の人生やそれに関わる事柄を充実させるために、決意を新たにした人も多いことでしょう。「新」という文字について、『論語』には次のような一節があります。
湯(とう)の盤(ばん)の銘(めい)に曰く、「苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又日に新たならん」と。
これは、「殷(いん)の湯王(とうおう)が洗面器に刻んだ自戒の銘であり、真に毎日自己を新たにし、停滞することなく進み続けることの大切さを説いている」と解釈されます。
決意すること自体にも意義はありますが、それを実行に移し、継続することが何より重要です。そのためには、工夫が必要となります。
例えば、殷(いん)の湯王(とうおう)のように、日々目にする場所に言葉を掲げるのも1つの方法です。また、生活習慣の中に取り入れ、毎日1度は決意を言葉にして確認することも効果的でしょう。
今年1年、年頭の決意を出発点として、自身の目標の実現へと着実に歩みを進めていきたいものです。
今日の心がけ◆継続する工夫をしましょう
永劫回帰の自己研鑽を社員の自らの人生のためにという意味で言ってないんだよなーこの糞本は。
経営側の身勝手な願望に寄り添ってる感が出ている所がすべてを台無しにするんだよ。
感想例
① 事務・管理職向け
業務効率化への小さな一歩
「日日に新たに」という言葉を聞いて、慣れ親しんだ業務の中にも、まだ改善できる余地があるのではないかと考えさせられました。事務仕事はルーチンになりがちですが、例えばファイリングの方法を少し見直して検索しやすくしたり、メールのテンプレートを改良して時間を短縮したりといった「小さな工夫」なら、今日からでも始められそうです。大きな改革は難しいですが、まずは自分のデスク周りから「昨日より良くする」意識を持って、業務の質を高めていきたいと思います。
感想要点
- ルーチン業務の中にある改善の余地を探す
- 整理整頓やツール改良などの小さな工夫を実践する
- 「昨日より良くする」意識でデスク周りから変える
② 技術・製造・現場職向け
基本動作の再確認と安全意識
湯王が洗面器に言葉を刻んだというお話から、毎日目にする場所で基本を確認することの重要性を学びました。現場でも、「慣れ」が一番の事故のもとになります。毎日の朝礼や点呼、指差喚呼といった当たり前の動作を、単なる儀式にせず、毎回「新しい気持ち」で行うことが、自分と仲間の安全を守ることに繋がると感じました。今日からまた気持ちを引き締め、初心を忘れずに一つひとつの作業を確実にこなしていきたいと思います。
感想要点
- 「慣れ」による事故を防ぐため、基本動作を重視する
- 指差喚呼などを形式的にせず、新鮮な意識で行う
- 初心を維持し、確実な作業で安全を守る
③ 営業・サービス職向け
一期一会の精神で向き合う
毎日を新しくするという考え方に触れて、お客様との接し方もマンネリ化してはいけないと痛感しました。私たちにとっては多くのお客様の一人でも、相手の方にとっては私が会社の代表であり、その瞬間が唯一の接点かもしれません。知識や経験が増えても、初めてお客様と接した時の緊張感や「お役に立ちたい」という純粋な気持ちを忘れず、一人ひとりに対して誠実に向き合う姿勢を持ち続けたいと思います。
感想要点
- 接客のマンネリ化を防ぎ、一期一会の精神を持つ
- お客様にとっては自分が唯一の代表であると自覚する
- 初心を忘れず、誠実な対応を継続する
本の紹介
『日常に侵入する自己啓発――生き方・手帳術・片づけ』
著者: 牧野 智和
本文にある「洗面器に言葉を刻む」「毎日決意を確認する」といった行為が、いかにして私たちの日常生活を「自己管理と効率化のためのツール」に変えてしまうかを、社会学の視点から鋭く分析した一冊です。 著者は、掃除や手帳といった何気ない日常の習慣にまで「成長」や「自己変革」の意味を持たせようとする現代の風潮(=自己啓発の侵入)が、私たちから「ただの安らぎの時間」を奪い、常に何かの役に立たなければならないという強迫観念を植え付けていると警鐘を鳴らしています。
「毎日目標を確認しよう」「生活習慣の中に決意を取り入れよう」……そんな言葉に、なんとなく息苦しさを感じていませんか? それは、あなたの「プライベートな日常」までもが、会社の役に立つ人間になるための「訓練場」にされようとしているからかもしれません。
この本は、片づけや手帳術といった身近なブームを例に挙げながら、私たちの生活がいかに「意識高い系」の論理に侵食されているかを暴き出します。「家でくらいダラダラさせてくれ!」と叫びたいあなたに、その違和感の正体を教えてくれる「自己啓発の解毒剤」のような一冊です。

管理人さんの言う通りです。毎度毎度、精神論でトラブルの原因を追及することなく、具体的な対策もなく、ただただ感謝して努力しろと言う。社員側にはいっさい立たず、常に経営者側の視線を送っている。そして、そんな文章に勘違いして感動するのは倫理法人会信者だけですよ。ただこの小冊子、安定的な反面教師の例としては役に立ちます・・・かな?
今回の「職場の教養」は、「決意を新たにし、それを日々確認し、継続する工夫をしよう」という内容でした。年頭にあたり前向きな姿勢を促す意図は理解できますが、読後、どこか息苦しさも覚えました。
紹介されていた『論語』の言葉や、「洗面器に言葉を刻む」「生活習慣の中で毎日決意を確認する」といった具体例は、一見すると立派な自己管理の方法に見えます。しかし、こうした考え方は「続けられないのは個人の工夫不足」「成果が出ないのは心構えの問題」と、責任をすべて個人に帰してしまう危うさも含んでいるように感じます。
サイト管理者の紹介本である、牧野智和氏の『日常に侵入する自己啓発』では、まさにこの点が指摘されています。手帳術や片づけ、習慣化といった行為が、本来は安らぎや生活のためのものであったにもかかわらず、「成長」「効率」「成果」のための道具へと変えられていく。その結果、私たちの日常そのものが、無意識のうちに自己管理と自己責任を強化する場になっているという分析です。
「職場の教養」は、問題や停滞の原因を構造や環境に求めるのではなく、精神論や努力論に集約しがちです。その視線は常に経営者側に寄り、社員が置かれている現実や制約にはほとんど触れられません。感謝し、努力し、継続すればよい——その言葉の裏で、具体的な対策や改善は置き去りにされているように感じます。
本当に必要なのは、「どう決意を続けるか」以前に、「なぜ続けられないのか」「個人の努力で解決できない問題は何か」を問い直すことではないでしょうか。日常のすべてを成長や成果に結びつける前に、ただ休む時間、何の役にも立たない時間を認めることもまた、健全な職場づくりの一部だと思います。
多くの自己啓発や「職場の教養」は、「どう続けるか」「どう工夫するか」「どう気持ちを切り替えるか」といった実行論へ、一直線に進みがちです。そこでは、前に進めない理由は個人の努力不足や意識の問題として処理されてしまいます。
しかし、本当に立ち止まって考えるべきなのは、その手前ではないでしょうか。なぜ続けられないのか。個人の努力だけでは解決できない問題は何か。そう問い直すことで、問題の矢印は「人」ではなく「状況」へと向かいます。
これは、個人を責める思考から、置かれている環境や構造を理解しようとする思考への転換です。その視点こそが、健全な職場や持続可能な働き方を考える出発点になるのだと思います。
今年1年、年頭の決意を出発点として、自身の目標の実現へと着実に歩みを進めていきたいものですと言っていますが、現実は、自身の目標の実現の足を引っ張る存在がエセ倫理や信者です。足を引っ張ったり、信者たちがメシの種にしようとしたり。
自身の目標ではなく、実態は信者たちに求められたこと=目標でしょうが。
経営側や信者たちの身勝手な願望もいいですよ。ただし、限度があります。
信者たちの願望は度が過ぎすぎている。奴隷以下ですわ。
エセ倫理の世界では、目下の者が自分というのを認めることはありません。
だからトラブルが絶えないんです。
トラブルを増やすような内容ばかり記載して、まさに職場環境をさらに悪化させているだけです。
『論語』の言葉ではなく、中国古典『大学』の言葉ですよね。本当に資料を調べたかこんな低級なミスを。