社宅に住んでいるMさんの地域では、月曜日はプラスチック、火曜日は燃えるゴミ、水曜日は燃えないゴミといったように、曜日ごとに回収されるゴミの種類が決まっていて、朝9時までにゴミを出すルールとなっています。
社宅に住んで以来、Mさんには腹立たしいことがありました。住人たちはゴミの分別を守り、決まった曜日に出しているのに、部外者が勝手にゴミを捨てていたのです。しかも、分別が守られていないゴミまでも散見されました。
ゴミ置き場に注意書きを掲示しましたが、まったく効果はありません。そこで住人同士で「どうすれば部外者のゴミをなくせるだろうか」と話し合いました。
様々な意見が出されましたが「ゴミ置き場が汚いとゴミが捨てられるのかもしれない」との考えに至り、全員で清掃を行なうことにしました。数時間の清掃で、塵一つない、清々しいゴミ置き場となりました。
その後、社宅内でのゴミ出しのルールを改めて確認し、美しいゴミ置き場の維持に努めると、不適切なゴミが捨てられることは、なくなったのです。
今日の心がけ◆改善のための知恵を出し合いましょう
いいんよ。自分の住んでいる所は自分でキレイにするのはいい。でも管理責任とそれは別の話じゃないか? 管理責任を完全に放棄して無償の労働をさせようという気持ちが見え見えすぎて読んでる人が不快になる。さすがです。
例えば、
- 精神論から行動経済学に話を置き換える。そうすると読んでいる人が「良く分かんないけどエビデンスもあるし賢そう」って思って納得する。
- 会社が「放置」していないことを示し、社員からの搾取感を薄める。
- 「監視の目が機能した」という納得感のある成功体験にする。
といった内容で書き換えたらどうですか? 著者さん。
感想例
① 事務・管理職向け
不法投棄への対策として、掃除という行動で環境を変えたお話にはっとさせられました。事務仕事においても、小さなミスや書類の乱れを放置していると、そこから気が緩み、大きなトラブルに繋がることがあります。 誰かがやるだろうと人任せにするのではなく、職場の小さな乱れに気づいたら、自分から整えていく意識を持ちたいと思います。互いに気持ちよく働ける環境を作ることで、チーム全体の信頼関係も深まると感じました。まずは自分のデスク周りから見直してみます。
【感想要点】
- 環境の乱れは心の緩みに繋がる
- 「誰かがやる」ではなく自分から動く
- 整理整頓が信頼関係の基礎になる
② 技術・製造・現場職向け
ゴミ置き場を綺麗にすることでルール違反がなくなったという話から、私たちの現場における5S活動の重要性を再認識しました。 現場でも「少しならいいだろう」という油断や、道具の散らかりが、結果として安全基準を下げたり、品質不良を招いたりします。綺麗な環境を維持することは、単なる美観の問題ではなく、事故やミスを防ぐ防波堤なのだと痛感しました。 決められた手順や環境整備を徹底し、プロとして恥ずかしくない仕事を積み重ねていきたいと思います。
【感想要点】
- 現場の乱れは安全と品質の低下を招く
- 綺麗な環境は事故を防ぐ防波堤である
- 手順と環境整備を徹底する
③ 営業・サービス職向け
荒れた場所にゴミが捨てられるという話は、対人関係にも通じると感じました。お客様をお迎えする店舗や私たちの身だしなみが整っていなければ、お客様も「この程度の扱いでいい」と感じ、信頼を損ねてしまうかもしれません。 言葉で伝えること以上に、目に見える環境や私たちの態度が、相手に大きなメッセージを与えているのだと思います。 お客様に誠意が伝わるよう、まずは身の回りの清掃や身だしなみといった、当たり前のことを大切にしていきたいです。
【感想要点】
- 環境や態度は言葉以上にメッセージを発する
- 乱れた印象は顧客の信頼を損なう
- 当たり前のことを徹底して誠意を伝える
本の紹介
『犯罪は「この場所」で起こる』
- 著者: 小宮 信夫
犯罪社会学を専門とする著者は、犯罪は「人の心」ではなく「入りやすく見えにくい場所」という物理的な環境によって引き起こされると断言しています。 「挨拶運動や清掃活動をしても犯罪はなくならない、必要なのは精神論ではなく科学的な防犯設計だ」という主張は、精神論でコストをケチろうとする経営者に読ませたい一冊です。
「掃除をすれば心が変わって犯罪が減る」なんてお花畑な話を信じていませんか? もしあなたが、職場で精神論ばかり押し付けられて疲弊しているなら、この本が強力な武器になります。犯罪やトラブルを防ぐのは、道徳心ではなく「景色(物理的環境)」であると科学的に証明した名著です。 根性論でタダ働きさせられそうになった時、「いや、必要なのは掃除じゃなくて鍵とフェンスですよね?」と心の中で論破するために、ぜひ手元に置いておいてください。事象を冷静に分析する目が養われます。

不適切なゴミを作り出しているエセ倫理や信者。
不適切で有害な職場の教養、普及活動の催促FAX,毎週本部から送られてくるFAXなどはどこに捨てたらいいですか?
着払いで本部に送り返すのがいいかな?
エセ倫理が不適切なゴミを作り出さないように改善の知恵を出し合いませんか?
確かに、「その後、社宅内でのゴミ出しのルールを改めて確認し、美しいゴミ置き場の維持に努めると、不適切なゴミが捨てられることは、なくなったのです。」かもしれない。しかし、「では、部外者のゴミはどうなったのか?」物事の本質を無視しています。自分たちが良ければそれで良い・・・では、「職場の教養」ではないでしょう。
筆者は「ゴミ置き場」の管理について、やや現実とのズレがある理解をしているように感じます。この解釈をそのまま一般化すると、地域によっては新たな問題を生む可能性があります。
まず重要なのは、そのゴミ置き場を**誰が管理しているのか**が明確でない点です。社宅が管理しているのか、自治会が管理しているのか――ここが曖昧なまま話が進んでいます。
いずれにしても、実際にゴミを回収しているのは行政ですが、行政は「指定された場所にゴミを回収しに来る」だけで、ゴミ置き場そのものの管理には基本的に関与しません。ゴミ置き場の管理主体は、多くの場合、自治会という任意団体です。
しかし、自治会と行政は直接的な上下関係にあるわけではありません。自治会はあくまで任意団体であり、加入・脱退は自由です。そのため、住民から「部外者がゴミを捨てているので、何とかしてほしい」と行政に要請しても、行政としては「ゴミ出しそのものを拒むことはできない」という立場を取らざるを得ません。
実際、過去にはこの種の問題で裁判となり、自治会長が被告となって敗訴した判例もあります。「ゴミを出したければ自治会に加入しなさい」という対応は、任意加入の原則に反する行為と判断されたのです。もしそれを認めてしまえば、極端な話、ゴミを出せない人が自宅でゴミを燃やすといった、より深刻な問題を引き起こしかねません。
私がもしゴミ置き場の管理に関わる立場であれば、次のように周知するでしょう。
「このゴミ置き場は自治会で管理していますが、部外者の方も利用できます。ただし、皆が気持ちよく使えるよう、分別を守り、清潔に保つ使い方にご協力ください。」
ルールで縛るのではなく、使う人の良識に訴え、協力を求める姿勢こそが、現実的で持続可能な改善策だと考えます。
私は、「部外者」とされる人を、最初から悪意ある存在だと決めつけるべきではないと考えています。
ゴミ置き場の使い方や分別ルールを知らず、「皆が捨てているから」という単純な理由で利用している可能性も十分にあるからです。
そのため、第一段階(ワンステップ)として必要なのは、注意や排除ではなく、管理主体や利用方法、分別ルールを明確にアナウンスすることだと思います。
これは善意で行動している人を守るための最低限の配慮であり、地域の摩擦を避ける上でも重要なプロセスです。
しかし、こうした周知や協力の呼びかけを行ってもなお改善が見られない場合、その行為は「知らなかった」では済まされず、悪意ある、あるいはルールを軽視した利用と判断せざるを得ません。
その段階で初めて、第二段階として、ゴミ置き場の設計や管理体制そのものを見直す必要が出てきます。
この第二段階で参考になるのが、小宮信夫氏の著書『犯罪は「この場所」で起こる』で示されている考え方です。
同書では、問題行動の原因を人の心や道徳心に求めるのではなく、「入りやすく、見えにくく、管理されていない」という物理的環境にこそ原因があると指摘しています。
つまり、掃除や呼びかけといった精神論に頼るのではなく、
・見通しを良くする
・照明を設置する
・利用者や管理者が分かる表示を行う
・必要に応じて物理的な制限を設ける
といった、防犯・管理の観点からの環境設計へと移行することが、現実的かつ持続可能な対応となります。
善意を前提とした情報提供から始め、それでも解決しない場合には、構造と仕組みで対応する。
この段階的な考え方こそが、「人の心」に過度な期待をせず、地域や職場を守るための実践的な知恵ではないでしょうか。
改善の為に知恵を出し合うと言うなら、先ず率先して行うべきことがあるのでは?
例えば、無駄で無意味な「職場の強要」とか、利益に貢献しないだけならともかく、機会損失を助長し、信者以外のモチベーションを下げる効果しかない「欠力嘲礼」を廃止してみるとか。