私たちが暮らす土地の「地名」は、地形や自然環境、そこに住んだ人々の歴史、信仰(しんこう)、慣習(かんしゅう)など、様々な背景を反映して名付けられています。
例えば、大阪の「道頓堀」という地名は、江戸時代の商人・安井道頓に由来します。道頓は川と川の間に堀を築くため、私財を投じて土木工事を行ないました。
道頓は、大坂夏の陣で亡くなりましたが、彼の尽力で堀が完成し、街や商業の発展への功績を讃えて、当時の藩主・松平忠明が「道頓堀」と命名したのです。
また、香川の「小豆島」は、かつて「アズキ島」と呼ばれていました。「アズ」は、崖や傾斜地、崩れやすい地形を意味する古語(こご)に由来します。
同様に、「阿蘇」も険しい崖地を表す「アズ」に由来し、「飛鳥」も飛鳥川の氾濫(はんらん)により地形が崩れやすかったことから、名付けられたと考えられています。
地名には土地の性質や歴史が刻まれているように、企業名にも、創業者の思いや理念、時代背景、そして先人たちの努力や苦労が込められています。
先人の歩みに思いを馳せながら、日々の業務に心を込めていきましょう。
今日の心がけ◆先人の歩みを知りましょう
要約します。「文句言わずに誠実に働け」以上。
地名研究の面白さを借りて、会社への忠誠心の空気をスッと差し込んで、待遇とか評価が微妙でも「歴史に恥じないように頑張ろう」で黙らせられる。さすが糞本です。
感想例
事務・管理職向け(オフィス・総務・経理・営業管理など)
地名の背景を知ることで、普段見慣れたものにも意味があると気づける点が印象に残りました。私たちの仕事も、手順や書類の一つひとつに過去の改善や工夫が積み重なっていると思います。忙しいと流れ作業になりがちですが、なぜこのやり方になったのかを少し振り返るだけで、無駄を減らしたり引き継ぎを丁寧にできたりするかもしれません。小さな理解を信頼につなげたいと思います。
感想要点
- 仕事の背景を理解する意識
- 小さな見直しで改善につなげる
- 丁寧さが信頼を作る
技術・製造・現場職向け(エンジニア・整備・製造・サービス現場など)
地名に地形や暮らしの知恵が刻まれているという話は、現場の基本と通じると感じました。設備や作業手順も、過去の失敗や工夫が反映されて今の形になっているはずです。私は慣れた作業ほど理由を忘れやすいので、点検の順番や安全確認の意味を意識して取り組みたいと思います。先人の積み重ねを理解することが、品質や安全を守る一番の近道になるかもしれないと感じました。
感想要点
- 手順の背景を意識する
- 慣れた作業ほど基本確認
- 理解が安全と品質を支える
営業・サービス職向け(営業・販売・接客・介護・教育など)
地名に歴史や人の思いが残るという視点は、私たちの対人の仕事にも当てはまると思いました。お客様や利用者の言葉や習慣にも、その人なりの背景があるはずです。私はつい急いで結論を出してしまうので、相手の地域や生活の事情に少し目を向け、話をよく聴く姿勢を大切にしたいと思います。相手の背景を理解しようとする態度が、信頼や安心につながると感じました。
感想要点
- 相手の背景を想像する
- 傾聴が信頼を育てる
- 小さな配慮が安心感につながる
本の紹介
『日常に侵入する自己啓発――生き方・手帳術・片づけ』
牧野智和/勁草書房
仕事に誠実でいたい気持ちはあるのに、なぜか“美談”や“心がけ”が重く感じることはありませんか。『日常に侵入する自己啓発』は、そんな違和感を言語化してくれる本です。努力を否定するのではなく、「努力が求められる背景」や「称賛の構造」を冷静に見つめ直すことで、あなたの働き方を守る視点が手に入ります。職場の教養系の文章を読む人ほど、一度読んでおくと頭の解像度が上がるはずです。

地名は、自然 → 人 → 暮らし → 信仰 → 役割 → 物語 → 願いという順番で積み重なってきた「土地の履歴書」だと言えます。
これに対して企業名は、創業者一族の名前が最も古典的です。次に、創業地・地域名、事業内容・機能、理念、造語、イメージ先行、時代背景などなど。まぁ、ほぼほぼ「創業者一族の名前」だから、それほど思いを馳せたいとは思わないよね。
『日常に侵入する自己啓発』を読み解き、「職場の教養」と比較してみます。
倫理法人会の「職場の教養」では、地名や企業名に込められた歴史や先人の思いを知り、感謝の心をもって日々の業務に向き合うことの大切さが語られます。土地の名が地形や人々の営みを映し出すように、企業名にも創業者の理念や努力が刻まれている。その物語に思いを馳せることは、一見すると誠実で、誰も反論しにくい美しい教えです。
しかし、仕事に真面目に向き合おうとする人ほど、こうした「心がけ」や「美談」に、どこか重さや違和感を覚えることがあります。その違和感を丁寧に言語化しているのが、牧野智和氏の著書『日常に侵入する自己啓発――生き方・手帳術・片づけ』です。
本書は、努力や向上心そのものを否定する本ではありません。むしろ、「なぜ努力が常に個人に求められるのか」「なぜ問題の原因が組織や制度ではなく、個人の意識や心構えに回収されてしまうのか」という構造を、社会学的に冷静に読み解いていきます。
自己啓発とは、人を前向きにする言葉である一方で、知らず知らずのうちに“従順さ”を生み出す装置にもなり得る——それが本書の核心です。
「感謝しましょう」「先人に学びましょう」「誠実に働きましょう」。
これらの言葉は決して間違ってはいません。しかし、それが疑問を差し挟む余地のない“道徳”として提示されたとき、話は変わってきます。もし、成果が出ない理由や職場の停滞が、すべて「心がけが足りないから」と個人に押し戻されるなら、そこでは経営判断や組織構造の問題が見えなくなってしまいます。
ここで、「職場の教養」と本書の視点を並べて考えてみると、重要な違いが浮かび上がります。職場の教養は、「どう生きるべきか」「どう働くべきか」を示す“模範”(らしきもの)を語ります。一方、本書は、「なぜその模範が正しいものとして流通しているのか」を問い直します。前者が行動規範の提示であるなら、後者は規範そのものを相対化する視点だと言えるでしょう。
ここで私自身の持論を述べさせていただきます。創業者本人が現役で経営にあたり、判断し、行動し、その背中を社員に見せている企業であれば、企業名や理念に自然と敬意が集まるのは当然です。しかし、二代目・三代目と代が下り、経営判断ができず、現場に責任を示すこともできない経営者が、「理念」や「感謝」や「心がけ」だけを語る場面を、私は少なからず見てきました。
そうした経営者ほど、倫理法人会のような経営者組織に身を置き、組織の力や言葉の力を借りて社員を導こうとする傾向があるように感じます。今回の「地名を読み解く」という文章も、土地や名前の歴史を尊いものとして語ることで、企業名への愛着や忠誠心を“あるべき姿”として社員に求めているように見えます。
しかし、本来、企業名や理念への思いは、誰かに教え込まれるものではありません。
社員一人ひとりが、日々の仕事の中で、経営者の判断や行動、姿勢に触れ、その結果として自然に芽生えるものです。もし本当に「会社のために働いてほしい」と願うのであれば、経営者自身が現場で考え、決断し、責任を引き受ける姿を見せることが先です。その姿に心を動かされた社員なら、言われなくても先人の思いや企業の歴史に目を向けるでしょう。
『日常に侵入する自己啓発』は、自己啓発を否定する本ではありません。ただ、「距離を取る視点」を与えてくれる本です。美しい言葉をそのまま信じ込むのではなく、「誰が」「どの立場で」「何のために語っているのか」を一歩引いて考える。その姿勢こそが、働く人の主体性を守ります。
職場の教養を読むこと自体はたいして問題ではありません(反面教師になりますからね)。
問題なのは、それを考える材料ではなく、考えることをやめる理由にしてしまうことです。
先人の歩みに思いを馳せる前に、まず目の前の経営者は何を選び、何に責任を持っているのか。その問いを忘れないことが、誠実に働くということなのだと思います。