2025/10/23 知っているつもり

脳科学者の西(にし)剛志(たけゆき)氏は、物事がうまくいく人とそうでない人の違いを調べた結果、「知っている」という言葉を使うと脳は変化を止めてしまうと述べています。
「『ああ、それはもう知っている』と思った瞬間に、脳はこれ以上学習する必要はないと判断して、思考を停止してしまう」ため、知っていると思ったことでも「自分は知らない」と謙虚な態度を持つことが大切だと西氏は語ります。
会社員のSさんの日課は、3歳の子どもを寝かしつける際に絵本の読み聞かせをすることです。
子どもが毎晩リクエストする絵本は、これまで何度も読んでいるもので、Sさんは読むことに飽きていましたが、子どもはいつも楽しそうに耳を傾けています。
そんな子どもの様子を見ながら、Sさんは業務中の出来事を思い出しました。上司からアドバイスを受けたときに「この話はこの前も聞いたな」と思うと、内容が耳に入ってこず、これが自分自身の成長を妨げているように感じたのです。
知っていると思ったことも、心を空にして聞き、成長につなげたいものです。

今日の心がけ◆謙虚な気持ちで業務に臨みましょう

「おじいちゃん もうその話は聞きましたよ」って言われたんだろ。

「お前は余計なことを考えるな、思考停止して、上司の言うことに従え」って事です。
あとその「脳科学者」とやらの主張を鵜呑みにしてるだけで、なんの疑問も持たないのか? アホなのか? 考えようとしないのか?
それが、謙虚な気もちだとしたら、まぁ騙されるわな。ディープステートだの国際金融資本だの自然食品だの香ばしい事言ってる人近くにいませんかw 自分は頭がイイ他とは違う色々な事を調べて知っていると勘違いしている人。それ、そっち側の事だけ調べているアホだから近寄らぬが吉です。

感想例
「知っている」と思うことが、自分自身の学びを止めてしまうという話は、身につまされる思いがしました。私はまだ経験が浅いのに、つい「その話は知っています」という態度をとってしまっていたかもしれません。 特に、日々の決まった業務では、慣れから「わかっている」と思い込みがちです。 上司や先輩からの助言を「また同じ話だ」と流すのではなく、その都度、新しい発見がないか、自分に足りない部分はないかと、素直な心持ちで耳を傾けたいと思います。

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2 件のコメント

  • 「知っている」と「その話はこの前も聞いたな」とは違う。
    「その話はこの前も聞いたな」と思ったら、アドバイスした者に言うべきだ。ボケている可能性があるからだ。例えば「職場の教養」の筆者だ。
    「知っている」と思った場合は、その時点で思考回路が止まる。宗教の信者は、神がこう言ったからそれが真実であり、それ以上疑わない。聖書にはこう書かれていると言い出す・・・聖書には真実が書かれていると認識しているからだ。
    この混沌とした時代だからこそ、外から入ってくる情報には疑問を持って対応したいものだ。
    特に「職場の教養」を読んでためになると思っている信者は、謙虚な気持ちは持たなくて良いから、まず疑問を持って対処する。信じたいのなら、疑うことから始めるべきなのだ。

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  • 謙虚な気持ちで業務に臨みましょう?

    まさか謙虚な気持ちで活力朝礼に臨みましょうとでも言いたいのでしょうか?

    得意先からの急ぎの電話より活力朝礼を重視するのですから、活力朝礼は立派な業務なのでしょう。もちろん、サービス残業てすが。

    信者やエセ倫理は自分たちが知っているつもりで思考ストップしているにも関わらずに、目下の者には知っているつもりで思考をストップさせるなと。信者の利益のために。

    しかし、エセ倫理や信者の言うことには、思考ストップさせて、言われた通りにやれということです。ついでに労基法など、エセ倫理や信者に都合の悪い話に耳を貸して、思考を働かせるなと。

    こんな身勝手極まりないことを求めているのが、エセ倫理や信者たちの有難い言葉です。謙虚になったり、素直になるということは奴隷以下になれということです。

    エセ倫理に対しては謙虚で、素直だけど倒産した。謙虚さも素直さもなく、何度も集団倫理指導を受けたが、小さいながらも会社を継続している。どちらが幸せでしょうか?

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